東京セントラル特許事務所  
 
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弁理士リレーエッセイ

弁理士リレーエッセイ:最終回 「一巡 」 星野 哲郎

2009.11.16

弁理士リレーエッセイ:第24回 「異文化に触れる 」 小田原 敬一 2009.9.29
弁理士リレーエッセイ:第23回 「 私が住んでいる町 」 石崎 亮 2009.8.25
弁理士リレーエッセイ:第22回 「 散歩感覚で行く味巡りの旅 」
  矢崎 剛平
2009.7.29
弁理士リレーエッセイ:第21回 「ライフワーク 」 渡邊 裕樹 2009.6.19
弁理士リレーエッセイ:第20回 「ご当地グルメ 」 木 紀子 2008.10.28
弁理士リレーエッセイ:第19回 「癒し 」 芝ア 和昌 2008.8.15
弁理士リレーエッセイ:第18回 「散策 」 川上 英思 2008.7.14
弁理士リレーエッセイ:第17回 「電車とバスの博物館 」 中村 優太 2007.9.27
2007.4.23
2006.11.9
2006.5.29
2006.5.9
2006.4.11
2006.3.20
2006.2.10
2006.1.16
2005.12.20
2005.11.28
2005.10.14
2005.9.6
2005.8.10
2005.7.22
2005.6.20
2005.6.6

   
 

弁理士リレーエッセイ(最終回)    「一巡」

2005年に産声をあげた当コラム「弁理士リレーエッセイ」も4年を経過し、第24回の小田原君の稿で当事務所の弁理士を一巡いたしました。
この間、趣味、個人的な生活や過去の体験など、各弁理士の仕事を離れた意外な一面がエッセイ上に顔をのぞかせて、我が事務所の弁理士諸君の横顔を皆様に知っていただく良い機会を提供できたものと自負しております。
一巡を終えたこのコラムも心機一転、近日中にタイトルを「トピックス」と改め、内容も実務、法律に関するのもに変更いたします。
次回からは我が東京セントラル特許事務所の弁理士が渾身の力(かな?)を振り絞り、その本業に関連する情報をホームページ上に発信いたします。どうぞご期待下さい。
       

パートナー弁理士  星野 哲郎

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第24回「異文化に触れる 」

                                 弁理士  小田原 敬一

 

 先日、オマーンという国に旅行に行ってきました。サッカーファンを除いて、日本ではあまり馴染みのない国です。日本の約3/4もの国土がありながら、人口は東京よりもはるかに少ない約236万人です。そして、主な宗教がイスラム教。国民の約75%がイスラム教徒です。
  オマーンについては、もともと私もサッカーW杯の予選で戦う国、というくらいの印象しかありませんでした。旅先に選んだのも、是非ここを見たいというものではなく、日程的都合、費用、世界遺産の存在といった諸条件を満たしたからに過ぎません。治安が良いとの情報があるとはいえ、行ったことのないイスラム文化圏。未知なものに対する漠然とした不安を出発前は少しばかり感じていました。しかし、実際に行き、現実の人々と触れ合った今なら、それがいかに馬鹿げたものであったかがわかります。
  オマーンの人たちの生活は豊かでした。もちろん、どの程度をもって豊というかにもよりますが、アジア圏の各国と比べれば豊だと定義することができると思います。但し、貧富の差はかなりあると思います。沢山の車、それも高級車に分類できる新車ばかりが走っている一方で、交通手段を持たず、移動には乗合タクシー(マイクロバスと表現される場合もあります)を利用するのが多くの人にとって普通のことです。オマーンの主な産業は石油産業(その他、天然ガス等の資源系もあるようです)です。おそらく、貧富差の原因は、石油産業等から利益を得るのが一部の階級だけだからではないか、と推測しています。石油産業関連に絡む階級者が外貨を稼ぎ、その階級者が稼いだ外貨を消費することにより、食事等のサービスを提供する人達、いわゆる第3次産業に従事する人達の生活が成り立っている。そんな社会構造を思い描くことができました。そして、この階級差にともなうと思われる貧富差を無くすすべは国内で暮らす限りないのではないか。教育環境やその他の社会環境を確認したわけではないので、間違っているかもしれませんが、そのようなイメージを持ちました(君主制国家であることがそのように感じさせているのかもしれません)。
  そのような貧富差がある社会であれば、社会に対する不満や憤りといった負の側面を旅行者であっても町のいろいろな側面から感じられるのが普通です。ところが、オマーンでは、このような負の側面が全く感じられませんでした。海外から移住して来た人たちも含め、金銭的にゆとりがあるとは思えない人たちも親切で、あかるく、精神面ではゆとりがある生活をしているように見えました。話しかければ、親切に答えてくれ、案内までしてくれます。そして、何より他の国で多くみられる騙してでも金を稼いでやろうという気配がほとんど感じられません。このような国は、いままで見たことがなかったので、驚きをおぼえました。
  また、富裕層に分類されると思われる人たちの親切心も他の国では感じることができないものでした。鉄道などの大量輸送手段が整備されている国ではないので、一般の人の主な移動手段は乗合タクシーです。長距離の移動には大型のバス(といっても日本の観光バス程度)が利用されます。ただ、いずれの場合も主要道路を移動するのみですので、目的地には最寄りの主要道路で降りて歩くことになります。また、地方に行くとタクシーの数も限られ、なかなか見つけることができません。このため、とんでもないところで降りてしまい移動に困ることが何度もありました。もちろん、ガイド誌はもっていましたが、ガイド誌に掲載されているレベルの地図ではスケールが大き過ぎ、とても徒歩での移動には使用できません。また、地図に掲載されていない目的地もありました。このため、道路沿線をスケールの大きい地図、もしくはガイド誌の文字を頼りに推測でとぼとぼと歩くハメによく陥りました。朝8時に既に39度を記録するような気候でしたので、これはかなりハードでした。当然かもしれませんが、道路沿線を徒歩で行く人は私の他にいません。しかし、そのように道路沿線を歩いていると必ず車が止まってくれます。だいたいそのような車は、冒頭でも触れた、高級車に分類される車です。結局、私は自分から声もかけずに計5回も車に乗せてもらいました(とはいえ、危ない国もありますし、特に女性の方はこのような行為には気をつけて下さい。説得力がありませんが・・・)。次第に誰かが乗せてくれることをプランに組み込むくらい、それは普通のできごとでした。目的地は逆なのに10分程度も私の目的地に向かって乗せてくれた人が2人はいました。また、車の中では、炎天下を歩いていた私の体調に配慮し、買ったばかりの冷たい飲みものをくれた人もいました(これもあまり褒められる行為ではありませんので、ご注意を)。ここまでの親切を私は他の国で経験したことがありません。後に、イスラム教では、持てるものが、持たざるものに親切にすることを当然とするような教えがあるという話を聞きました。この話の真偽は定かでありませんが、もしかしたら本当にこの教えによるものなのかもしれません(とすると、よほど私が持たざるものに見えた、という落ちもありますが)。
  もちろん人々の親切心などが宗教文化によるものとは限りません。その国の社会環境等によるものかもしれません。ただ、伝聞情報のみから構成される自分のなかの世界観、というか思い込みというのは当てにならないものであるということが今回のことでもよくわかりました。断片的な情報による偏った見方。意識していても潜在的には生まれてしまうものです。このような思い込みは何も旅行などの非日常のなかだけではなく日常でも発生していると思います。日常生活一つとっても全ての情報を得ることは不可能ですし、バランスよく情報を得るということも難しいからです。とすれば、考えてみると人間だれしもそれぞれの思い込みのなかでのみ生活していると言えるのかもしれません。日々の思い込みを一新するのに旅行はもってこいです。今回、イスラム文化若しくはオマーン文化の素晴らしい側面に触れることができ、自分の世界を広げてくれる良い経験ができました。とはいえ、偏った情報だけで判断するのは問題ですので、今後もいろいろな国を旅し、見分を広げていきたいと思っています。

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第23回「 私が住んでいる町 」

                                   弁理士  石崎 亮

 

 私は、訳あって、4年ほど前から「大利根町(おおとねまち)」という町に住んでいます。皆さんは大利根町をご存知でしょうか?

 大利根町は埼玉県の北東部に位置する人口1万5千人ほどの町で、すぐ隣には茨城県と栃木県があります。大利根町は、上野からJR宇都宮線に乗って1時間ほどの「栗橋」が最寄りの駅で、JR宇都宮線の他にも東武日光線が走っています。因みに、栗橋は大利根町の隣の町で、江戸時代には関所が設けられた宿場町でした。

 都心からだいぶ離れているため通勤には不便と言えますが、4年間住んでみて、私は大利根町のことが気に入りました。ですので、皆さんに大利根町のことを紹介したいと思います。

 栗橋駅の駅前(西口のほう)は、なぜだか駐車場だらけで、お店はほとんどありません。コンビニもありません。最初は結構不便に感じたのですが、駅前に何も無いおかげで悪そうな人達が駅付近に集まらないため、今では安心して使える駅だなと思っています。ただ夜は真っ暗になります。栗橋駅西口は9年ぐらい前に作られたのですが、それまでは田んぼだらけだったそうです。駅前には何もありませんが、車をちょっと走らせるとスーパーとか大型のショッピングモールがあるため、特に生活に不便は感じません。

栗橋駅西口

 

 私の家から3分ほど行くと、見渡す限りの田園風景が広がっています。地平線が見えるぐらいです。この田園の中をランニングしたりサイクリングしたりするのは、かなり気持ちが良いです。稲穂がこすれる音には結構癒されます。夜になると様子が変わりまして、蛙の大合唱です。最初はうるさく感じましたが、慣れると意外に癒されます。

田園風景

 

 大利根町という名前だけあって、町には利根川が流れています。河口までの距離は結構あるにも関わらず、川幅は相当なものです。美しい川というよりも雄大な川といった印象を受けます。昭和初期のカスリーン台風では、この付近の堤防が決壊して大洪水が発生し、都心にまで浸水の被害が及びました。現在では、この時のような壊滅的な被害が生じないようにスーパー堤防が建設されています。ですので、洪水に関しては一応安心できそうです。

利根川

 

 大利根町付近の利根川では「ハクレン」の大ジャンプが見られるということで有名です。「ハクレン」とは中国大陸原産のコイ科の魚で、大きいものでは1mを超える巨大魚です。毎年、特定の時期に、この巨大なハクレンの大群が利根川で豪快に飛び跳ねます。その勇姿が見られるのは一年のうち数時間〜数日であるため、目撃するのは難しいです。実際、私も見たことはありません。

 それから、大利根町は、うなぎが美味しいです。何軒か旨いうなぎを食べさせてくれるお店があるのですが、それぞれのお店でたれの味が異なり、蒸し具合とかも異なるため、その日の気分で行くお店を変えています。私はうなぎが大好物なので、うなぎを食べるたびに大利根町に住めて良かったなあとつくづく思います。

 大利根町の紹介は以上となります。 大利根町は、正直言って、何も無い田舎町です。観光地ではないですし、名産品なども特にありません。でも、なんとも言えない味があります。変わらない良さというのでしょうか。私はそんな大利根町が好きです。皆さん、田舎暮らしは結構いいですよ。  

 

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第22回「 散歩感覚で行く味巡りの旅 」

                                   弁理士  矢崎 剛平

 

 私は、「食」にこだわりがある。日本各地のまだ見ぬ(?)美味なものを自分で探すことが楽しみであり、見つけたときには大いに幸せを感じる。時間とお金が許せば、その地に出向き普段の生活では味わえない新鮮なものを探したいと思っている・・・がなかなか実行できないのが現実。最近はインターネット上で簡単に地方の特産品等を入手できるようになったが、それでは実際に手にとって、目で見て、物を買う喜びを実感できない。そこで利用するのが「アンテナショップ」と「物産展」だ。

 「アンテナショップ」とは、各道府県が主に都内に出店し、その地の特産品を扱うお店のことである。各店で様々な特色があり、飲食店を併設しているところもあれば、一店舗で日本各地の特産品を扱っているところもある。その数なんと30以上。その多くが銀座・有楽町に集中している。
  また、「物産展」は、主に特定の地域のものを集めて、デパート等の催事場において行われているイベントである。(「北海道」や「九州」は定番。やはり根強い人気か。)

 今回は、私の独断と偏見による調査に基づき、ここ3ヶ月以内に訪れたアンテナショップと、最近までに訪れた物産展について感想やら意見やらをつれづれなるままに書いてみたいと思う。

<アンテナショップ>

◇山形【銀座】
  2009年4月30日にオープンしたばかり。オープン前からお店の前を何度か通っていたので、かなり気になっていた。山形県と言えば、お米(はえぬき)、日本酒、米沢牛が有名。お肉♪お肉♪と思いながらお店に入ると、すぐ目に入ったのがさくらんぼ(ちょうど季節だったので)。そうだった。さくらんぼやラ・フランスなどの果物も産地だった。
  お店の中心部には、米菓類のコーナーが大きく設けられていた。米菓類が有名だとは知らなかった。お米が取れるので、当然といえば当然か(単なる勉強不足?)。その中でも目に付いたのは、何種類もあるおかき。パッケージには「職人気質で天日干し」と書いてある。食べた感想は、「か、固い」。普段口にするおかきと比べると、とても固い。固いが、クセになる。これが山形の職人気質か・・・。
  2階は山形県産の野菜などを使ったイタリアンレストランになっている。次回はこちらも訪れたい。

◇北海道【有楽町】
  北海道のアンテナショップはいつ行っても人で溢れている。海鮮類はもちろん、畜産や農業においても「食」の種類が豊富で、飽きることがないからであろう。私もここに来る度、その種類の多さに驚かされる。
  今回は、できたてアツアツのメンチカツと牛乳(500ml)を購入。その場でいただく。できたての揚げ物って、なんでこんなにおいしいんだろう・・・としばしその感覚に浸る。牛乳は、「北海道の牧場=濃厚」という自分勝手な法則を見事覆した、さっぱりとしたさわやかな味。揚げ物との相性はぴったり。
  もう少し暑くなったら、ソフトクリームを食べることにしよう。

◇秋田【有楽町】
  北海道のアンテナショップから1、2分歩いたところにある。ショーウィンドウに民芸品が並ぶ小さなお店だ。
  有名なものと言えば、きりたんぽや稲庭うどんが浮かぶ。もちろん、お店にはきりたんぽのセットや稲庭うどんのコーナーが設けられていた。そんな中、何種類ものうどんにまぎれていたのは、なんと「稲庭そうめん」。あまりの衝撃に今回は手を出せず。次回訪れた際は必ず購入しよう。
  その他、秋田の有名な日本酒「新政」や、なまはげの形をしたお菓子を発見。

◇沖縄【有楽町】
  入口で大きなシーサーが出迎えてくれる。この辺りの空間だけ雰囲気が違う。沖縄は日本ですよね?なんだか異国に買い物に来たような感じで少々戸惑う。
  1階には、シークワーサーなど沖縄名産品を使ったドリンク、黒糖のお菓子(多種)及び塩などの飲食料品、地下1階には、工芸品(30cm以上はあろうシーサーや沖縄ガラス)及び泡盛などがずらりと並んでいた。その他、見慣れないものが多数。
  そういえば、「珍しさ」に気を取られて、何か買うのを忘れた・・・。

◇むらからまちから館【有楽町】
  他のアンテナショップとは違い、ここは日本各地の特産品が多数おいてあるお店。あちこち行くのが苦手な人はここに来ることをおすすめしたい。
  あれもこれも欲しい。店を何周したかわからないほど夢中でぐるぐる。その中で気になった「さつまかりんとう(京都府宇治市)」を購入。見た目は芋けんぴ。食べた感想も芋けんぴ。ちょっと油っぽいけれど、やめられない、止まらない。


<物産展>

 自宅近くのデパートで催される物産展に足を運ぶことが多い。先に述べた北海道、九州はもちろん、ここでは京都もよく催されている。
  物産展の良いところは、何と言っても会場の広さ。アンテナショップに比べて売り場面積が広いので、その分、売っているものは多いし、まだ見ぬ美味なものを探索できるというワクワク感も楽しめる。特に、自宅近くの場合、冷蔵物・重いもの・作りたてのお弁当を気軽に持ち帰ることができるという利点を生かさないわけにはいかない。だから、ついつい買い物し過ぎてしまう・・・。旅行することを思えば、安いかな(と、言い訳してみる)。
  物産展の醍醐味と言えば、いろいろ試食・試飲ができること。ここで私のお気に入りをご紹介。

◇北海道
  カニの身が入ったコロッケ・・・手のひらサイズ。中身ほぼカニ。北海道ならではの一品。
  牧場牛乳のソフトクリーム・・・濃厚で美味。ソフトクリームというより、アイスクリームに近い。

◇京都
  ざる豆腐・・・大豆の甘みを口に入れた瞬間から感じることが出来る。豆腐好きにはたまらない。
  和菓子類・・・味わう前に形や色で視覚から楽しませてくれる。実演での職人芸は見事。

◇九州
  さつまあげ・・・いろいろな種類や形があって面白い。中には枝豆が入っているものも。個人的にはシンプルなものが一番好き。
  他にも海鮮丼、プリン、飲むヨーグルト、いかしゅうまい、ギョウザ、豚角煮まんじゅうなどなど・・・挙げるときりがない。
  話は脱線するが、去年の京都の物産展で日本酒の試飲をしていたら酔っぱらったことを思い出した。日本酒が8種類くらい並んでいて、次から次へと飲ませてくれたのだが、あまりお酒に強いわけではない私は、気がつけば足元がフラフラ。でも、気分はとても良かった。

 

  偶然にも、この事務所の近くにはアンテナショップも物産展を行うデパートも揃っている。このような良い環境に恵まれ、私の仕事もより一層捗る・・・はず。

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第21回「 ライフワーク 」

                                   弁理士 渡邊 裕樹

 私の趣味の一つに、「音楽」があります。鑑賞することも好きなのですが、何より楽器を演奏することが好きです。主に、ギターなどの弦楽器を中心に楽しんでいます。この趣味に出会ったのが高校に入学した時ですので、かれこれ十数年も続けていることになります。もはやライフワークの域に入っているかもしれません。

 楽器を趣味にする上での楽しみと言えば、やはり他の楽器を弾く方と一緒に演奏することだと思います。今でも時々、仲間たちと集まって演奏することが、休日の楽しみの一つになっています。普段はまったく接点のないような人たちばかりですが、気さくで親身な方たちに囲まれて、楽しく過ごしています。

 このように友人と一緒に演奏するときには、いつも目標を設定するようにしています。年に数回のペースで、人前で演奏をする機会(所謂ライブというもの)を設けているので、練習毎に課題を挙げて演奏の質の向上に努めています。何をやるにも、やはり目標は大事です。締め切り期限を決めて、それに向かって準備をしていく・・・ある意味、なんだか普段の仕事と同じような感じもしますが、個人的には、こういう感じは嫌いではありません(笑)しかも、締め切りが近付いてくるに従って、集中力が飛躍的に高まるという効果も得ることができます。

 ここで、これだけ長年続けていてもなぜ飽きないのかというと、それは明確なゴールがないからだと考えています。おそらく、数年前の自分に言わせれば、今の演奏レベルを見たら「もうそれぐらいできれば十分じゃないの?」と言うかもしれませんが、今の私自身の感覚としては「まだまだできないことだらけ」という感覚しかありません。

練習→上達→課題が見つかる→また練習→また上達→…

ひたすら、この繰り返しです。音楽に興味を持ち続ける限り、このループはこれからも続いていくものだと思います。こんな風に、少しずつでも上達していったときに感じされる達成感に楽しみを見出しているのだろうと我ながら感じています(かといって、上達をするために趣味をするのでは楽しくないので、本末転倒ですが(汗))。

 この点については、仕事にも共通するところがあるのではないでしょうか。仕事を進めていくと、どうしても時にはうまくいかなかったりすることも出てくるものです。そのようなときに、何らか妥協したり、手を抜いてしまったりすると、このループの回転速度が遅くなって、最終的には自分に不利になってしまうのだと思っています。

 話は変わって、事務所のある東京周辺は、音楽が好きな人にとって非常に恵まれた環境にあります。有名なミュージシャンがコンサートを行う武道館や東京ドームなどへのアクセスもよいですし、小さなライブハウスなども多く存在します。ちなみに、皆さんも駅前などで路上ライブをしているところを見かけたことがあると思いますが、大抵はギターを持ってポップスなどを歌っている若者だと思います。ところが、事務所に近い銀座エリアでは大人の方がサックスを持って、路上でジャズを弾いているのですから、初めて見たときには驚きました。それだけ音楽に関わっている人が多い街なのでしょう。職場周辺は仕事をするための場所として見てしまいがちですが、ふと別の面にも目を向けてみると、皆さんもまた違ったよさが発見できるかもしれません。

 最後は、話が脱線気味になってしまいましたが、これからも音楽をよい趣味として、付き合い続けていきたいものです。

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第20回「ご当地グルメ」

                                   弁理士 木 紀子

 6月に宮崎へ行った。なぜ宮崎かというと・・・
@長崎県(長崎市内&ハウステンボス)以外の九州の県に行ったことがなかったので、九州の南の方へ行ってみたかった、
A温泉に行きたかった、
B宮崎市在住の学生時代の友人が、6月まで育児休暇で、7月から職場復帰する予定であった、
からである。以上、3つの理由から、「6月に宮崎の温泉へ行こう」ということになったのだ。実際には宮崎市内で友人に会い、霧島温泉(鹿児島県)に行ったのだが、別に宮崎県知事に会うために行ったわけではない。

  「宮崎の特産品」と聞いて思い浮かぶのは、マンゴー、日向夏、地鶏、宮崎牛・・・。私は数年前まで日向夏と言うものは存在も知らなかったが、知事のPR成果か、最近では東京でも時々見かけるようになった。その他、宮崎の郷土料理と言えば、冷汁やチキン南蛮がある。これから暑くなる「6月」だったからか、宮崎への旅行の前後に冷汁がテレビで紹介されているのを2〜3度見た。チキン南蛮は衣が独特で、タルタルソースをつけて食べる。宮崎へ行く前は「鶏の南蛮漬けなんて、別に宮崎でなくても」と思っていたが、チキン南蛮は一般的な南蛮漬けとは違うものだった。お土産屋さんでは、レトルトのチキン南蛮やフリーズドライの冷汁の素などが売られており、新宿にある宮崎県のアンテナショップでは、冷汁定食やチキン南蛮定食もある。「宮崎の物」としての認知度もかなり高いようだ。

 宮崎の特産品は数多くあるが、今回の旅行で初めて出会ったものが「肉巻きおにぎり」である。「砂糖醤油で味を付けた焼肉が巻かれた塩むすび」のようなものだ。この肉巻きおにぎりは、さらにレタスで巻かれ、食べやすいように紙で巻かれて提供される。私は、この肉巻きおにぎりという物を今回宮崎へ行くことが決まってガイドブックを買うまでは知らなかった。今まで食べたことがなかったのが不思議なぐらいに、単純で、ありきたりな食べ物なのだが、とてもおいしい。

 宮崎在住の友人によると、肉巻きおにぎりはお酒を飲んだ後の「しめ」に食べるものらしい。なので、肉巻きおにぎり屋さんの営業時間は夕方5時〜午前3時(テイクアウトのみ)。友人と会った日の翌朝に宮崎を発ち、電車で霧島温泉へ向う予定だったので、「明日の朝、電車に乗る前に昼食用の肉巻きおにぎりを買いたい」と私が友人に言ったら、「昼前に肉巻きおにぎりを買える店はない」と言われた。子供が好きそうな味なのに、肉巻きおにぎりは「大人の食べ物」のようだ。お酒が飲めない私は、昼食に肉巻きおにぎりを食べたい。昼食に肉巻きおにぎりなんて、宮崎人にとっては朝食にカツ丼を出されるようなものなのだろうか。ショッピングモールのフードコートで売り出したら、人気商品になると思うのに。

 国内外を問わず、私は旅先の市場やスーパーで東京(または日本)では売られていない(または、売られてはいるがとても高額な)食材を買い込み、旅先で食べたものを自宅で再現し、旅の余韻を楽しむ。例えばポルトガルでは干し鱈、トルコではドライイチジク、沖縄では青パパイヤ、秋田では稲庭うどん・・・。冷汁や肉巻きおにぎりを作るためには特別なものはいらないので、宮崎からは日向夏(予算の都合上マンゴーは一個のみ)を背負って帰ってきた。

 砂糖醤油に一晩漬けた薄切りの肉を、具の入っていないおにぎりに巻いて、フライパンで焼き、レタスを巻いてかぶりつく。本場物は一回しか食べていないが、なんとなくそれらしいものができた(当初私は牛の薄切りを使っていたのだが、正しくは豚(黒豚)らしい)。自分で作れば昼食に肉巻きおにぎりが食べられるが、昼食の前に毎回作るのは時間がかかるので、肉を巻いて焼いた状態のものを冷凍してみた。でも、冷凍しておくと手軽に食べられておいしいので、すぐに食べてしまう。「焼おにぎりは冷凍食品として販売されているのだから、肉巻きおにぎりの冷凍食品もあればいいのに」と思っていた。

 今回この文章を書くに当たり、4ヶ月ぶりに「肉巻きおにぎり」をインターネットで検索したところ、宮崎の物を扱うお取り寄せのサイトでは、なんと肉巻きおにぎり(冷凍)が売れ筋商品の第一位として紹介されていた。旅行から帰った直後に検索したときは、引っかからなかったサイトだ。肉巻きおにぎりの写真をクリックすると「販売開始からわずか一ヶ月」との記載。「お客様の声」に掲載されているコメントの一番古いものは2008年8月だった。

 「肉巻きおにぎりの冷凍食品が欲しい」なんて誰にも話した覚えはないが、誰かが私の願いをかなえてくれたようだ。そうなると、私の次なる願いは、肉巻きおにぎり屋さんが東京に進出することである。やっぱり出来たてが食べたい!

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第19回「癒し」

                                   弁理士 芝ア 和昌

日々の仕事が忙しいと感じたとき、ふと『癒し』を求めたくなることはありませんか?
私は、期限的に余裕がない時や、難しい中間処理の案件が続いた時に、ふと癒しを求めたくなります。

『癒し』は人によって様々だと思います。それはアロマだったり、ペットと遊ぶことだったり、温泉に入ることだったりするかも知れません。なかには、植物(野菜)を育てることで、すごく癒される人もいます(身近でゴーヤを育てている人を知っています)。

数ある『癒し』の中でも、私がお薦めしたいのが『梅酒作り』です。梅酒作り=癒し?と思う方がいらっしゃると思います。私自身、始めるまでは、梅酒に癒されるなんて夢にも思いませんでした(私が変なのかなとも思ったのですが、どうやら違うようでした。安心しました(笑))。

梅酒作りの一番の魅力は、何といっても、手間がかからずに美味しいお酒が作れること。
梅酒の作り方は、簡単に言うと、瓶の中に青梅と氷砂糖とお酒(ホワイトリカー)を入れて、暗くて涼しいところに置いておくだけ。ほとんど手間がかかりません。

そして、6ヶ月くらい経過すると、無色透明のお酒にほんのりと色がついてきます。これが飲み始めのサインです。最初の梅酒は、良い意味でも悪い意味でも「若い」のですが、この若さが、日を追うごとに熟成され、芳醇な香りや味に変化していきます。特に最初の一年間は、熟成を顕著に感じることができるので、日に日に成長するお酒を楽しむことができます(もちろん、大量には飲みません)。

この熟成を楽しんでいるときに、私自身、最も癒されているような気がします。梅酒作りには、植物を育てているときと同じような癒し効果があるように思います。しかも、ほとんど手間がかからないので、さしずめ、水をあげなくても元気に成長していく植物を育てている感覚でしょうか?このお手軽さが、梅酒作りを気に入った最大の理由だと思っています。

また、アレンジの幅が広いことも、梅酒作りの魅力の一つではないかと思います。お酒の種類を、ホワイトリカーから安いブランデーやウィスキーに変えると、味わい深い梅酒ができます。一方、アルコール度数が低いので少々工夫が必要ですが、日本酒や焼酎などでも、独特の風味をもつ梅酒を作ることができます。また、氷砂糖の変わりに黒糖を用いることは一般的ですが、人工甘味料を用いることで、ヘルシーな梅酒を作ることも可能です。

アレンジの幅が広いことは良いことなのですが、一つだけ欠点があります。それは、青梅が売られている時期が限られているため、一度に多くの種類を作りたくなり、梅酒の瓶を置くスペースが無くなることです。狭い我が家には、現在、フィリピン駐在の友人の分も含め8瓶が眠っており、押入れの一角を占領しています(笑)。

このように、個人的には結構楽しみながら梅酒を作っているのですが、皆さんも興味があるようでしたら、是非トライしてみてください。ただ、青梅が売られている時期が6月上旬の比較的短い期間だけなので、他の果実酒(杏酒、ゆず酒、りんご酒等)を季節にあわせて作られると良いと思います。疲れた仕事帰りに、コンビニでビールを買うのもよいですが、自分が育てた梅酒などを楽しんでみてはいかがでしょうか?

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第18回「散策」

                                   弁理士 川上 英思

東京セントラル特許事務所に入所した2003年8月以来、私は、昼休みに、事務所周辺を散策することにしている。当初は気分転換のみを目的としていたが、現在は体型維持や店探しが主目的となっている。

事務所から片道20分程度で到着できる主な場所(散策範囲)には、日本銀行本店、佃、築地、汐留、有楽町駅周辺等が含まれ、この散策範囲には、テレビや雑誌等のメディアで紹介された店が点在している。銀座一丁目〜銀座四丁目や日本橋の店なら、昼休みに買い物もできるので、メディアを見て気になった店には、実際に行ってみることにしている。

散策範囲の主な場所・店を、以下に紹介する。

<隅田川テラス>
事務所から南東方向へ15分程度歩くと、隅田川に到着する。隅田川の川沿いは「隅田川テラス」として整備されているので、川沿いを散策できる。佃大橋付近の隅田川テラスを散策していると、時々、浅草・お台場間を結ぶ水上バスを見かける。これまでに何度も見かけているにも関わらず、水上バスを一度も利用したことがないので、週末にでも利用してみたい。なお、事務所周辺では、晴れた日に隅田川の西岸を歩きながら見る中央大橋や佃リバーサイドの景色が、一番のお勧めだ。

<東京駅周辺>
例えば真夏日や大雨の日等、散策に適していないと思われる日には、東京駅の地下通路を歩くことが多い。一部区間を除いて空調が効いているため、地下通路は地上よりも歩きやすい。鍛冶橋の交差点付近から地下へと移動し、東京国際フォーラムの地下入口や丸の内ビルの地下入口の前を通過した後、丸の内側と八重洲側とを繋ぐ連絡通路を経て、ブリジストンの本社ビル付近から地上へと移動して事務所へ戻るルートを主要ルート(所要時間;約30分)にしている。

<歌舞伎座周辺>
事務所の前を通る昭和通を新橋方面へ15分程度歩くと、三原橋の交差点に達する。この交差点を左折して晴海通を築地方面へ歩くと歌舞伎座があり、この交差点を通過して昭和通沿いを進むと汐留に到着する。弁理士試験の受験生になる前は、妻と共に歌舞伎を何度か観賞したが、ここ数年は一度も観賞していない。もともと、歌舞伎には興味がなかったが、趣味の範囲を広げること等を目的として、10年ほど前に、歌舞伎の他、寄席や演劇等を観賞するようになった。今すぐに観劇を再開するのは難しいが、子供が大きくなったら、再開してみたい。

<銀座熊本館>
散策範囲には、道府県のアンテナショップが点在している。銀座熊本館は、私が利用している数少ないアンテナショップの一つだ。二年位前に、芸能人がダイエットをする番組を見ていたら、ダイエットに有効なお茶として「シモン茶」が紹介されていた。テレビで紹介された直後はなかなか購入できなかったが、最近は、銀座熊本館で容易に購入できる。飲み始めて数ヶ月が経過した時点で、他の生活習慣を変えないままシモン茶を飲んでも効果は少ないことを実感したが、このお茶を止める理由が見つからないので、今でも何となく、飲み続けている。

<飲食店>
散策範囲には、メディアで紹介される有名店(例えば、「たいめいけん」、「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」、「煉瓦亭」等)のほか、多数の飲食店が存在する。ここ10年以上、年に数回は、大学時代からの友人達と集まることにしていて、その時の店は大抵、私が予約している。そのため、友人達と飲みたくなると、昼休みに店探しをする。20代の頃は安くてたくさん飲める店を好んでいたが、最近は酒量が減ってきたので、安くて美味しい料理を食べられそうな店を探すようにしている。

<洋菓子店>
散策範囲に複数のデパートが存在することもあって、事務所周辺では様々な洋菓子を購入できる。特許業界で仕事を始める前に見つけていた、美味しいチョコレート菓子等を購入できる店(ミュゼ ドゥ ショコラ テオブロマ)の商品を松屋銀座で購入可能なことを知って以来(但し、現在は購入できない)、美味しい洋菓子を購入できる店を探している。例えば「HIDEMI SUGINO」は、散策中に見つけた店だ。この店のケーキは売り切れていることが多く、未だ購入したことがないので、いつか購入してみたいと思っている。


 
 
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弁理士リレーエッセイ:第17回「電車とバスの博物館」

                                   弁理士 中村 優太

 皆さんは、鉄道ファンというとどういうイメージをお持ちでしょうか?恐らく、「暗い」というイメージを持たれる方が多いでしょう。それでも最近は、若い女性の方の中にも鉄道に興味を持たれる方が増えており、私は大変驚いております。かくいう私も鉄道ファンの一人です。

 一言で「鉄道ファン」といっても、興味を持つ内容は各人によって様々です。例えば、鉄道の車両そのものに興味を持つ人もいれば、時刻表に興味を持つ人や行き先プレートに興味を持つ人もいます。私は、ずっと鉄道の車両そのものに興味を持っており、特に10代の頃は、廃車になる車両があるという噂を聞きつけると、わざわざその車両に乗りに行ったりしたものです。

 つい先日も、宮崎台にある「電車とバスの博物館」に行ってまいりました。この博物館は、東急主催の博物館であり、東急電鉄の旧型車両が展示してあります。私は、東急電鉄の旧型車両が好きなので、かねてからここに行ってみたいと思っていました。現在、東急各線を走っているのは、アルミ製の銀色の車両ですが、20年以上前は、デハ3000形やデハ5000形と呼ばれる渋い若草色の車両が走っていました。東京在住の方の中には、実際に乗られたことのある方も多いことでしょう。なお、つい最近、渋谷のハチ公口に展示された若草色の車両はデハ5000形です。博物館には、デハ3000形が展示してあります。

 東急田園都市線の宮崎台駅を降りて直ぐのところに電車とバスの博物館はありました。日曜日ということもあってか、たくさんの子供たちで賑わっていました。入場料の100円(安い!)を払って、2階の入口から博物館の中に入ると、最初に目についたのは、東急の創業時の車両でした。とはいっても、この車両は実際に使用されたものではなく、復元されたものです。この車両の内部では、東急の歴史を紹介するビデオが上映されていました。

 ビデオを見終わって、1階に下りると、今回見たかった若草色の車両、デハ3000形がありました。デハ3000形は、戦前から昭和40年代にかけて東急の各線で見られた車両ですが、昭和50年代以降は目蒲線や池上線で主に使用され、平成元年に廃車となりました。実は、私は、中学3年生の頃に目蒲線でこの車両に乗った覚えがあります。その当時でも、近いうちに廃車になるのではないかという噂があったため、私は、わざわざ乗りに行ったのでした。この車両は、吊り掛け式モータと呼ばれる旧式のモータが取り付けられています。吊り掛け式モータは、私鉄の数多くの旧型車両で一般的に取り付けられたモータで、駆動するときに「ウォーン」と大きな音を立てるのが特徴です。私はこの吊り掛け式モータのなんとも懐かしい独特な音を聞くのが好きです。

 博物館では、デハ3000形の車両本体と台車を分離して展示してありました。台車は、車両の運転席から見える位置に展示されており、運転席でレバーを操作すると、レバーの操作に合わせて台車の車輪が動くのが見えるようになっていました。台車が車両本体から完全に分離されていたためか、吊り掛け式モータの音が博物館中によく響いて聞こえ、私はなんとも嬉しい気分になりました。早速、デハ3000形の車両内部へ入ると、運転席には子供たちが5、6人ほどいました。みんな、運転の順番を待っているようです。私も運転してみたかったのですが、「おじさんにも運転させて。」の一言が恥ずかしくて言えず、客席のシートに座って内部の雰囲気を味わうに留めました。なお、博物館の屋外の展示場にも、デハ3000形(元モハ510形)が展示してありました。

屋外のデハ3000形(元モハ510形)

 次に目についたのは、デハ200形と呼ばれる車両でした。これは、昔の路面電車「玉川電車(通称:玉電)」の車両です。玉電は、現在の東急新玉川線、世田谷線の前身であり、昭和44年頃まで、東急世田谷線の区間、及び、渋谷−二子玉川園間の国道246号線上の区間を走っていました。渋谷の現在のマークシティのある辺りに玉電渋谷駅があり、電車はそこから道玄坂に出た後、国道246号線上に設けられた路面軌道を走って二子玉川園に向かっていたそうです。私の生まれる前の出来事ですから、当然、実際に動いているデハ200形に乗ったことはありません。

 博物館で見たデハ200形は、少しも古さを感じさせないデザインの車両で、とても40年近く前に作られたとは思えないほどです。博物館では、デハ200形は休憩室として使用されていて、シートに座って休憩できるようになっていました。私も中に入り、シートに座って周りを見渡すと、一組の親子連れがシートに座って休憩をとっていました。ちょうど昼時ということもあってか、母親は子供におにぎりを食べさせていました。この車両が現役時代のときにも見られたであろう、今も昔も変わらない風景がそこにありました。

 この博物館では、東急の昔の車両の他にも、バスやYS−11などが展示してあります。また、図書室では、鉄道雑誌(30年分くらいありました)やビデオを見ることもできるので、マニアな大人でも十分に楽しめます。男の子だけでなく、女の子も結構いました。見たところ、彼女たちも十分楽しんでいた様子でした。なので、私は、次行くときは、娘を連れて行こうかなと思っています。

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第16回 「レジ袋を断る自転車」

弁理士 三輪 浩誉

 「自転車」は素敵だ。渋滞も関係ないから、自動車と比較して移動時間の見通しが立ちやすい。電車のような突発的且つ迷惑極まりない運転見合わせも関係ないから、ストレスもたまらない。好きなところへ思いのままに行くことができるから、寄り道も楽しい。基本的に有酸素運動なので、脂肪の燃焼が進んで肥満防止にもつながる。体力が続く限りは走行可能だから、岐阜の実家までの約400kmの道のりも2日かければ行くことができる。

 こんなに素敵な自転車が好きだから、入所以来5年間(というより、学生時代から)、自転車通勤を続けている。現在は、片道8km程度を30分ほどかけてのんびりと通勤をしている。小さな折り畳み自転車で始めた自転車通勤も、クロスバイクというものに乗り換えてからは随分と楽になった。最近は、ついに念願のロードバイクを入手したため、更なる自転車通勤環境の改善が見込めそうだ。

 しかしながら、自転車通勤族(ツーキニスト)にとっては、これから、夏という過酷な環境が待ち受けている。最近の夏は、あまりにも暑すぎる。自転車通勤をしていると、季節の変わり目を肌で感じることができるのだが、最近の夏は、肌で感じるという言葉を当てはめることが適切ではないと思わずにはいられないほどに過酷過ぎる。どんなに体力を消耗しないようにゆっくりと力をかけずにペダルを漕いでも、極力日陰を走行するようにしても、事務所に到着する頃には着替えが必要なほどに汗だくだ。これも、近年大きな問題となっている「地球温暖化」の1つの表れなのであろう。

 地球温暖化といえば、その1つの原因として、自動車や工場での化石燃料の燃焼による温室効果ガスの排出が挙げられている。とすれば、自転車は、化石燃料を必要としない極めて環境に優しい乗り物ということで、地球温暖化の進行の抑制にも一役買っていることは明らかだ。具体的には、私が毎日行っている往復16kmの自転車通勤は、往復16kmの自動車通勤と比べれば、約2リットルの化石燃料(ガソリン)の節約につながることになる。電車等の公共交通機関にしても、量こそ少なくなれども、一定量の化石燃料の節約につながっていることは間違いないだろう。でも、「2リットルのガソリン」と言われても、どうもピンとこないので、ちょっとグーグルで検索して調べてみたところ、2リットルのガソリンは、これまた最近問題となっているスーパーのレジ袋約120枚程度に相当するそうだ(coopによれば)。ますますよく分からなくなったが、通勤するだけで、毎日120枚のレジ袋を断っているのと同じことをしていたと考えれば、多分私は、断ったレジ袋の枚数ランキングで言えば、全国でも上位層に入れそうなことだけは確実だ。

 このように個人にとっても地球にとっても素敵な自転車だが、その置かれた環境はあまりにも厳しいことはあまり知られていないのでなかろうか。例えば、自転車は、道路交通法により、原則として車道を走行するものとされているが、車道を走行している自動車にとってみれば、自転車は邪魔物以外の何者でもない。普通に車道の端をおとなしく走っている状況において、クラクションを鳴らしたり、触れるか触れないかというすれすれの位置を故意に走り抜けているとしか考えられない走行をする自動車と遭遇する確率は少なくない。このような状況に身の危険を感じて歩道に乗り入れたとしても、あふれかえる歩行者の中を走行することは、車道を走行することよりもある意味で危険であり、やはり車道を走行するべきだと感じる。

 こんな状況だから、自転車専用レーンや自転車道の整備は、ツーキニストにとっての悲願であるが、狭い日本の道路を考慮すれば、その実現には極めて大きな壁が立ちふさがっていることは明白だ。しかしながら、自転車専用レーンや自転車道の整備によって自動車から自転車に乗り換える人が増加すれば、その結果、地球温暖化の進行の抑制に恒久的に貢献し得ることを考慮すれば、自転車専用レーンや自転車道の整備は夢物語ではなさそうだ。

 ちなみに個人的には、高速道路に自転車専用レーン(もちろん、自動車レーンとは隔離された安全な自転車専用レーン)を設けてもらえたら最高だ。これで、実家に自転車で帰るときに非常に楽になる。400kmの道のりを自転車で走れば、スーパーのレジ袋を3000枚も断ったことになるから、なんかすごいことに思えてくる。やっぱり自転車は素敵だ。

 自転車と地球温暖化とを絡めてエッセイ風な文章に仕上げたかったが、さっぱりうまくいかない。ということで、最後に無理やりまとめると、言いたかったのは、「自転車最高!!Viva 自転車!!」ということに尽きる。

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第15回 「卒業インタビュー」

パートナー弁理士 江上 達夫
(インタビュアー:篠田)

[インタビュアー] 江上先生、二度目となる、大学卒業おめでとうございます!

[ 江上 ] ありがとうございます。お蔭様でこの9月で、慶應大学法学部を無事卒業することができました。

[インタビュアー] 毎日夜遅くまで、しかも土日や祭日も殆ど働いているのに、一体いつのまに大学を一つ終えたのだろう?と、驚きですが、先ず入学されたきっかけなどを聞かせてください。

[ 江上 ] はい。最初は、仲良しの弁理士から今度卒業だ!と聞いたので、また授業料が意外と安かったこともあって、それなら自分も!と、軽い気持ちで入りました。ところが、実際には、開業当初の一年に一日も休まないような日々に重なっていたこともあり、大変な道のりでした。入学してから、通信教育の場合における、入学者数と卒業者数とを知ってビックリ、確か二十人に一人位しか卒業できない計算だった訳です。

[インタビュアー] エツ!どこかよその国の大学の話みたいですね!

[ 江上 ] はい。その実態としては、先ず、期限及び形式について特許庁より厳しい、レポート提出やその再提出等があります。せっかく試験がそれもAで通ったのに、レポート再提出の一日遅れでフイにした科目もありました。また、出席をとることが多い夏季や夜間のスクーリングがあり、ここでは、代返ができないようトリックが随所に仕掛けられているのです。

更に、六法のみ持ち込み可能という普通の法律試験の数々があり、まさに法学部って感じす。そして、卒論があり、これは、先生の負担軽減も兼ねて短期突破を試みようとしたところ、うまくいかず、結局、卒業は、簡単に言えば簡単でなかったのです!(笑)

[インタビュアー]よく続けられましたね。何かコツでもあったのでしょうか?

[ 江上 ] ええ、最初にお金を払っちゃってましたからねえ!(笑い) 最初の試験で、勉強超不足の中、必死で書いた憲法・民法ともに思わぬ好成績がとれたことで勢い付けられたこともありましたし。かつての過酷な弁理士試験で鍛えて以来、論文試験を目の前にすると戦闘スイッチが入る、超人ハルクみたいな体になったのが功を奏したとも言えますかね。それから勿論、大学ですから、有能な友達や先輩の存在は必須であり、その辺で私は運よく大変恵まれていましたね。

[インタビュアー] それじゃあ、やっぱり楽勝だったんじゃないですか? 先生友達多そうですしね!

[ 江上 ] それが途中からは、法学部を出て日又は米のロースクールへ!などという潜在的野心も完全に消えてしまったので気合が入らず、他方で仕事は常に忙しかったこともあって、卒業まで間延びしてしまいました。レポートや試験の度に、徹夜で勉強するのは、やはり体に応えますしね。仕事が常に優先なので、結局、間近での格闘となり正直イヤになる訳です。しかし最後は、一身奮起し、最後の試験をクリアすると共に、修正毎に、やはり徹夜を繰り返して何とか卒論を完成させることができました。卒論は、ソフトウエア特許に関するものだったので、有利に権利化を図るには?などの内容が厚くなり、またクセで欧米の話まで入れようとしたりで、結局、やたらと長くなって、論文らしくまとめるのが至難でした。

[インタビュアー] なんだか卒論も随分、骨おられたみたいですね。その分、喜びもひとしおだったのではないですか?

[ 江上 ] はい。でも先月、卒論を交えての面接試験も無事クリアでき、その帰り道では、はるか昔、大学入試や弁理士試験に合格したときにのみ味わった、あの飛び上がりたくなるような感覚を、再び味わうことが出来ました。

[インタビュアー]その感覚は貴重ですね。(私も早く味わいたいものです…) 終わられてみると、いかがですか?

[ 江上 ] はい、終わってみると、最短で2年半のところを5年半もかけて卒業するまでの間に、法律センスなるものが多少は身に付いた気はしています。基本である憲法、民事の基礎となる民法や破産法、訴訟に必要な民事訴訟法や刑法、手続法の基本をなす手形法や有価証券法、今後脚光を浴びそうな刑事政策や医事法などは、弁理士を法律家の一味として捉えるのであれば、やはり最低限の知識は身に付けておきたいところかと思われます。

[インタビュアー]ちなみに、成績は、いかがだったんですか?

[ 江上 ] 興味があったことが幸いしてか、今言った科目全てについてAがとれました。

[インタビュアー] さすがは先生ですね! さて、ロースクール準備といったような明確な目標無しで、東大に飽き足らずに慶應まで卒業してしまう原動力は、何なのでしょうか? 先生のように社会人で、再び大学や何か新しいことに挑戦しようなどという人に、何か一言お願いします。

[ 江上 ] 例えば、慶應であれば、通信なら入学は一番容易であり、卒業時点では通学と区別されないところにまで行けます。まあ、やりがいはあると思います。社会人が二つ目の大学を卒業することや勉強することの意味を問われると、或いはそれは贅沢などと言われると、山登りの意味を問われているみたいで、正直答え難いところもあります。ただ、忙しい中で、大学、より広くは学問に挑戦しようとする人には、ある種の眩しさがあり、ここは福沢大先生の「学問の進め」の精神にも従って、やっぱり、大きなエールを送りたい気分ですね。

[インタビュアー] 最後に、その二つ目の大学を卒業した後における先生の抱負は?

[ 江上 ] 勉強も一区切りついたので、これからはもっとしっかり稼ぐようにします!(笑)

[インタビュアー] 今日はお忙しいところありがとうございました。      以上

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第14回    「 米国特許法改正せまる!? 」

弁理士 中嶋 武雄


  今、目の前にある米国特許出願に対する拒絶理由通知を見ると、First Action(1回目の拒絶理由通知)であるにも拘わらず、なんと出願日が2001年である(即ち、審査まで約5年もかかっている!)。この案件は、コンピュータソフトウエア関連発明に関するものであり、当然分野にもよろうが、最近耳にする「100万件」とも言われる米国特許庁における審査未着手の案件数の増大と言うか、審査遅延の問題と言うか、審査官の数不足と言う問題は、相当に深刻のようだと頭をよぎる。このように深刻だと、本年秋頃に予定されている「米国特許法改正」は、余談を許さない無茶な格好で決着を迎える可能性も否定できない。よって、リレーエッセイという場を借りて、本法改正について簡単に触れてみる。

 先ず本法改正よれば、米国「21世紀戦略計画」下で、とにかく特許庁における100万件の未処理分或いは在庫(現地では“backlog”と呼ばれる)を減らすための奇策として、現在お金さえ払えば回数無制限に認められている、通常“RCE”と呼ばれる継続審査や“CA”と呼ばれる継続出願(CIP(部分継続出願)を含む)の回数を「1回だけに制限する」ことと、分割出願について「自発的なものは認められない(単一性違反が指摘されたものに限る)」こと(※尚、適法に認められた分割出願についても当然その継続審査等は1回に制限)とが提案されている(注1)。

 現行の「回数無制限の制度」や「任意分割制度」は、実務の立場から言えば、回数を重ねる毎に費用がかさむという欠点を除いては、(1)とりあえず延々とやることで何らかの形で、概ね90%以上の確率で許可に持ち込める、(2)とりあえず可能なところで権利化しておき、最大限の権利範囲の獲得については、その後に粘れるだけ粘って試みる、(3)特許許可された段階で、権利範囲や包袋を(始めて)きちんと見直し、不足ならそこから継続や分割でリスタートする、(4)重要案件なら、権利化されたものとは別に、出願継続状態を延々と維持しておき、将来の権利行使、権利拡大等に備える、など多くの利点がある。逆に言えば、仮に「1回限定制度!」や「任意分割禁止制度!」採用となると、これらの利点による恩恵を全く受けることができなくなるので、実務上は一大事である。実務では、継続審査等は実績として非常に多く行われているところであり、そんな無茶な!と思われる面々も多かろうが、それでこそ「100万件の未処理分」を減らすために即効性が高いと考えられている次第である。

 更に、これらの新制度については、「遡及適用!」が予定されている。このような背景もあって、法改正される前から当該リレーエッセイの場を借りて警鐘を鳴らしている訳である。再びそんな無茶な!と思われる面々も多いであろうが、ここでも、それでこそ「100万件の未処理分」を減らすために即効性が高いと考えられている次第である。因みに案では、2006年2月1日以降の米国出願が適用対象となってしまい、既にこの時から現在までの間に米国出願を終えた案件の場合は勿論のこと、例えば所謂「バイパス出願(PCTで国内移行させる代わりに米国にCAで入ってしまう出願(注2))」も1回とカウントされる結果、係るバイパス出願については実質的な継続等はできなくなるので、要注意である。

 本法改正よれば、その他として、さすがに遡及適用ではないものの、優先権の主張の基礎となる関連出願(発明者が重なる出願で出願日が近い(例えば優先権を主張する場合だと、基礎出願日の間が2ヶ月以内の)もの)をIDS(Information Disclosure Statement)と類似の要領でリストアップして添付することの義務付け(これは、似たような案件は、同一審査官に担当させることで効率アップを図ろうとするものであろう)や、CIP(部分継続出願)における新規事項を明示することの義務付け(これは、どこが新しいか不明なため審査し難かった今までの方がおかしいと言えなくもない)や、一出願中に含まれるクレーム個数の制限及び審査してもらえるクレーム数の制限(加えて、審査を希望する10個のクレームの明記等)なども、提案されている。

 以上によれば、本法改正に対応するためには、出願後の対応では間違いなく遅く、出願前の対応でないと間に合わない。しかも、仮に「遡及適用」となれば、今から準備しておかないと、間に合わない案件も相当量発生し得る。具体的な対策としては、概ね、一出願に多数の発明を欲張って盛り込む戦略は、クレームアップしておくか否か又はクレームではなく明細書中に書いておくか否かに拘わらず、見直しが求められ、一出願に含める発明についての厳選が出願当初から強力に求められる。即ち、単一性違反を承知で或いはとりあえず明細書の中に入れておき分割を後で考えるというような戦略は、百害あって一理無しになる。これは、出願時におけるサブクレームを含めてのクレームの作成作業を今までとは比べ物にならないほど慎重に行わなければならないことを意味する。要するに、各出願について「出願時」に、審査対象となる技術的な特徴を厳選して、一件一件を、出願の意図の明確なコンパクトなものにする、言い換えれば、複数の技術的な特徴を権利化したいのなら、別々の出願を行うことが要求される。逆に“とりあえず戦略”は通用しない。このような本改正による出願人側の負荷増大は、相当のものとなるかも知れない。

 他方で、我々のような一般的な特許事務所の立場は、出願人の立場と多少異なる。即ち、我々の立場から言えば、例えば、「クレーム30個は多い、40個は多い、これで一出願か!?」や、「これは、クレーム数はそこそこだけれど、内容からして、5件分だ、10件分だ!?」や、「出願日の確保だけなら、メガネの発明と洗濯機の発明とを一出願に入れても大丈夫なんですけど…」などと思いつつも、と言うか顧客にやんわりと伝えつつも、顧客側から「いいんです。とにかくまとめて1件で出してださい。」や、「ゆくゆく分割出願でクレームアップできるように実施例中にしっかり書いておいてください。」や、「クレームにそのままコピーできる形で明細書中に、きちんと書いておいてください。」などと迫られて困るような場面も、可能性としては十分あり得る。仮にこのような場合にも、係る“無理難題”から我々が開放される方向に働く点では、本改正は悪くない面もある。よくよく考えると、米国特許庁の審査官にはノルマが課せられ、特に夜学のロースクールへ通うための奨学金の受取条件がノルマ達成にかかっているので、「これで1件か!?というような巨大ボリュームの出願で、1ポイントはないでしょう!」という彼らの立場と、我々のような「これで1件か!?というような巨大ボリュームの出願で、1件分の料金はないでしょう!」という特許事務所スタッフの立場と、ある意味で共通の利益を有するので、本法改正は、我々特許事務所の立場の改善にも、うまくすれば繋がる可能性を秘めている。本改正により明細書作成作業に今まで以上に神経を使うだけでは、とてもやっていられないので、実際、本改正が特許事務所の待遇改善に繋がることを密かに期待して止まない。

 尚、米国特許庁は、米国の好景気下で、相当以前からベトナム移民、ロシア移民等の移民系或いは難民系の方々までも審査官に登用済であることもあって、これ以上の増員を、その質を維持しながら行うのは容易でないとの判断が、上記法改正の前段階でなされていると伝えられている。即ち、我が国特許庁がやっているような普通に思える“審査官の増員”によって法改正が不要となることは、どうも期待しない方がよさそうである。

 さあ、日も暮れてきた。2001年出願の中間処理にとりかかることにしよう。

 

(注1)http://www.uspto.gov/web/offices/pac/dapp/oplapresentation.html
http://www.uspto.gov/web/offices/pac/dapp/opla/presentation/chicagoslidestext.html

(注2)当該HP>Topics>知的財産権情報>「米国特許情報」江上達夫2003.1.8参照

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第13回    「消防官から弁理士へ」

弁理士 上野 英樹

 

 私は、今年1月から東京セントラル特許事務所で働き始めました。それまでは、消防官として働いていました。そこで、私がいた消防について、少し紹介させていただきたいと思います。

 

 消防は、基本的には市町村ごとに組織されています。都道府県単位で組織される警察よりは、役所や役場に近いものです。ただし、広域消防として複数の市町村が合同で消防を組織している場合もあります。この場合、名称が○○消防組合となることがあります。私のいた消防もそうであったため、事情を知らない人に、消防の名を語った悪徳業者と勘違いされることがありました。

 

 消防官として採用されると、消防学校で半年間の初任教育を受けます。全寮制であり、週末しか帰宅することができません。県内の各消防から新人が集められ、消防の基礎を叩き込まれます。ここでみっちり鍛えられることで、心身共に真の消防官となります。そして、辛い訓練と生活を共にしたかけがえのない同期生を得ることができます。


 消防の組織には、大きく分けると消防本部と消防署があります。消防本部は、事務職で、現場活動を事務からサポートします。一方、消防署は、消火、救急、救助といった現場活動を主に行っています。いつ起こるか分からない出動に備え、交代により24時間体制で勤務をします。
  私のいた消防は2交代で勤務をしていたため、朝8時30分から、次の日の朝8時30分まで仮眠を挟み、勤務をします。よく出動していないときはどうしているのかと聞かれますが、訓練、地理や消防水利の調査、書類作成など、やるべきことはたくさんあります。決して遊んでいる訳ではありません。


 消防署は当直勤務ですので、若い人たちで食事などの生活の世話を受け持ちます。この食事の用意が、好き嫌いや味にうるさい人などがいて、なかなか大変です。家では絶対に食事を作らないような人が、先輩に教わりながら一生懸命に食事を作ります。現場での活躍に希望を持って入ってきた新人は、食事の用意に追われる現実と理想とのギャップに悩み、最初の壁にぶつかります。そして、この壁を乗り越え、一人前の消防官となってゆきます。


 私は、最初の3年を消防署の警備隊(消火隊)、その後6年弱を消防本部で過ごしました。警備隊で出場した中で、今でもよく覚えている火災があります。それは、夜中の2時頃だったと思います。仮眠中に「ブー、ブー」と火災指令が消防署に響きました。飛び起きると、現場は私の消防署の管轄内で、道路が狭く住宅が密集している地区でした。私は消防車を運転して、現場を目指しました。程なく遠くの暗闇に、ひときわ明るいオレンジ色の部分が見えてきました。家は燃えあがり、煙が昇っていました。消防車を消火栓に着け、水を送りました。やがて火災は鎮火しましたが、出火した家は全焼し、周りの家まで延焼してしまいました。いまでも、もっと上手く活動ができなかっただろうかと考えることがあります。


 火災というのは、初期消火が大事であり、燃えあがってしまうと消防車で水をかけてもなかなか消火をすることができません。人間の力では太刀打ちできない部分であり、無力さを感じる瞬間です。そして、鎮火後の火災現場で、ついさっきまであった家やそこでの生活を奪い去られ、途方に暮れる人々を目の当たりにすると、どうしてあげることもできない辛さと、火災の恐ろしさとが入り混じったなんともいえない気持ちになります。

 

私は、消防官から弁理士に道を変えました。当初、両者の仕事は、まったくといってよいほど関連がなく、大変な世界に入り込んだものだと思っておりました。が、現場活動での思い、苦しい訓練に耐えた自信、出会った人々から学んだことなど、私は消防で多くのことを得ることができたと思っています。この消防で得たものを忘れず、今後は弁理士という世界に、挑戦し続けたいと…。
  また、実際に明細書の作成を担当させて頂くようになって、この半年間弱を振り返ってみますと、「防火シャッター」、「バーナー」、「ボイラ」、「加熱炉」、「焼鈍炉」、「ガス給湯器」等を構成要件とする発明に関するものを多く担当させていただいており、いまさらながら、私と「火」との縁の深さを実感しております。そして今、私の心は、前職の消防で得たものを忘れず、弁理士という世界に、挑戦し続けたいと、メラメラと熱く赤い炎を吹き上げているのであります。


 

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第12回    「インドの変遷 」    

弁理士 本木 久美子

 

 先日、娘とインドに行ってきました。土曜日昼出発、水曜日の朝8時に成田着、そのまま出社という非常に短い旅です。インドは好きで、昔よく旅行していたのですが、子供が生まれて行く機会もなくなり、最後に行ってからもう20年以上も経ってしまっていました。今回、たまたま、昔では考えられなかったコンパクトな4泊5日の「インドでふれあいのホームスティ!!家庭料理講習・市場訪問・サリー着付タージマハール他の世界遺産も観光」というなんとも盛りだくさんなツアーを見つけ、懐かしくなり、出かけることにしました。しかし、私の知っているインドは二昔も前のインドであり、いろいろなことが変わっていました。

 

物 価

 とにかく、なんでも高くなってました。最初は観光客プライスでふっかけてきているのかと思ったのですが、確かに物価が上昇しているようです。調べたところによると、インドの消費者物価指数は、1982年を100とすると2004年が520であり、20年ちょっとで5倍以上になったことになります。一方、日本の物価はほぼ横ばいなので、インドに約20年ぶりに行った私が高くて驚くのも当然でした。昔、一ヶ月ほど滞在して、日本円で3万円かからなかったのですが、今はもう実現不可能です。いろいろ欲しい物もあったのですが、ちょっといい物になると数万円と驚くべき値段で手がでませんでした。20年前に買っておけばよかったデス。

タージマハール 外国人入場料750ルピー(約2000円)
20年前は10ルピーくらいだったような…

 

地下鉄

 20年前、デリーで女の人たちが頭の上の皿に砂を載せてゆっくりと運んでいました。何をしているのかと尋ねたら「subway」を作っているといっていました。なんとも優雅な話で、100年かかっても完成しないと思っていたのですが、今回、地下鉄が完成していました!さすが悠久のインドです。驚きでした(ただし20年前に答えた人が「subway」と言ってたものが、今回完成した地下鉄のことを指していたのかどうかちょっと不明です)。

 

すもう

 インドでは「TATA」という自動車メーカがあります。バス・トラック部門は世界6位の規模を誇る大メーカです。昔、「TATA」と言えばバス、トラックしか見なかったのですが、今回、TATA製の乗用車も沢山走ってました。特に目に付いたのが「SUMO」という車です。後ろにタイヤを積んだ、パジェロミニのような形の車です。強くて丈夫なのだそうです。日本の相撲はこんなところで有名なのだと感動しました。

 コブラ使い             人々

 

地 名

 ガイドさんと話をしていると、「ムンバイ」という地名がよくでてきたのですが、最初どこのことを言っているのか分かりませんでした。しかし、後で、昔の「ボンベイ」のことだと分かりました。イギリスの植民地当時時代の名称をインドの言葉に置き換えようという運動で1995年に現地語のムンバイに改名したそうです。「ボンベイ」は、インドの西側中央部の有名な町で私もよく知っている町なので、東京をいまだに江戸と思っていたような、なんだか20年の月日を感じてしまいました。なお、西ベンガル州の州都は、昔カルカッタという町だったのですが、今はコルカタだそうです。これもベンガル語の呼び方に2001年に変えたのだそうです。

 

エア・インディア

 エア・インディアは昔のままでした。「機材の到着遅れ」により、ただでさえ短い旅行なのに出発が約8時間遅れ、昼の12時発が午後8時発になってしまいました。おまけに離着陸の際には、酸素マスクが天井から落ちてくるし、アームについているイアホンを抜こうと思ったら、パネルごとアームから外れるし、更には、自分の座席のパネルのライトボタンを押すと隣の人が照らされ、隣の座席のライトボタンを押すとその隣の人が照らされ、どうやら配線が間違っているようでした。20年前も今も変わらないエア・インディアでした。

 

アームから外れたパネル     落ちてきた酸素マスク

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第11回    「 親力 」    

弁理士 中野 直樹

 

 最近、『「親力」で決まる!』という本を読みました。子育て本です。息子たちも少し大きくなったし、子育てを真面目に考えてみようと思い、書店の教育コーナーで見つけました。実は、随分前からのベストセラーで、現役教師の方のメルマガをまとめたものだそうです。ご存知の方も多いでしょう。

 

 「親力」

 子供を育て、包み、伸ばす親の総合力のことを「親力」というようです。

 子供にとって親の影響は大きく、親次第で子供はかなり変わります。そういうことは分かっていても特別に何かをしようとは思っていませんでした。この本では、子供が楽しく勉強できる「楽勉」をプロデュースすることを勧め、親が子供のためにどうしたらよいかを具体的にアドバイスしてくれています。

 

 「本物体験が子供を変える」

 本物を体験することが大切だそうです。例えば、魚や動物は、図鑑や絵本だけで教えるのではなく、水族館や動物園へ一緒に行って本物を見せたり、触らせたりするのが良いということです。確かにそうかもしれません。動物園へ息子を連れて行ったときには、息子は動物を、私が思う以上に興味深く観察していました。動物園で「あれ何?」と聞かれても、なかなか説明がむずかしいものもありました。親にも予習が必要です。できる限り本物を体験させてあげよう。確か、息子はテレビを見て、「ヘルクレスリッキーブルー(中央アメリカ辺りの巨大カブトムシ)を捕まえに行こう!」と私を誘ってくれていました。それはちょっと・・・。

 

 「人格を否定するような注意の仕方は絶対厳禁」

 子供を注意する際に、例えば、「〜するな。○○は、ダメな子だね」などと、子供のしたこと自体を注意するだけでなく、更に子供の人格を丸ごと否定するようなことを言うのはいけないそうです。私もつい言ってしまっている気がします。良くない事柄についてだけ注意すれば、十分なのに、余計な一言を言ってしまいがちです。これで子供は傷つくそうです。気をつけなければなりません。

 

 「一緒に写った写真が愛を伝える」

 私は、息子たちが生まれてから、息子たちの写真をよく撮っています。我が家のアイドルです。写真には、撮影者である私は当然写っていません。私自身は、写る必要はないと思っていました。しかし、写真には子供と一緒に写るようにするのがいいそうです。将来、子供が、親と一緒に写った写真を見たときに、親の愛情を感じることができるのだそうです。子供だけの写真では、私は息子たちのそばにいなかったのと同じようなものになってしまいます。これでは、息子たちが寂しい思いをするし、私としても寂しいものです。これからは、息子と一緒に写真に写っておこうと思います。

 

 これらの他にも「なるほど」「そうだな」と思えることがたくさんありました。やはり、子供育てをするには、親が育っていかなければならないとあらためて感じました。「親力」を高めると、息子たちと楽しく過ごせそうです。この本を読んでから、子供たちとの関わり方が少し変わってきたと妻に好評です。子供たちからの人気も増したかも。私にも「親力」が身についてきたのかもしれません。

 

 


 
 
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弁理士リレーエッセイ:第10回    「 ☆」    

弁理士 中川 美保

  


私は、星空がとても好きだ。特に、今の季節は、夜、とても星がきれいに見える。会社帰りに自転車に乗りながら空を見上げると、オリオン座がすぐに目に飛び込んでくる。冬の大三角形も見える。吐く息は白くてとても寒いけれど、星を見ているとうきうきした気分になる。

 

今年の夏は、北海道に行き、星空ツアーに参加した。場所は、摩周湖だった。摩周湖といえば、そう、霧がよく出ることで有名な場所だ。にもかかわらず、私が参加したグループでは、運良く、満天の星空を見ることができた。20分後くらいには、もう霧が出て星が見えなくなったのだから、相当、運が良かったのだと思う。このときは、ガイドさんが夏の星座について解説してくれたおかげで、たくさんの星を観察することができた上に、天の川も、人工衛星も、流れ星も見ることができた。

ちなみに、人工衛星というのは、飛行機ほど早く移動するわけではなく、かといって星のようにあたかもそこにとどまっているかのように見えるわけでもなく、ゆっくりとしたスピードで移動している。そんな光が空に見えたら、それは人工衛星だ。

 

星空といえば、私の祖母が暮らしている、日本海に浮かぶ小さな島でも、天の川や流れ星を見ることができる。島では8月に花火大会が開催され、小さい頃は、祖母の家の前の海辺にゴザを敷いて、その上に寝そべって、花火を鑑賞した。田舎の花火大会だから、花火と花火の間にはかなり時間が空く。この間、周りは真っ暗だから、星空がとてもよく見える。天の川もはっきりわかるし、ぼーっと空を見上げていると、次々と星が流れていく。とてもきれいな光景だ。私の好きな星と花火を一度に楽しめるのだから、この花火大会の日は特別な日だった。今は、(仕事があるため)、この花火大会の日に島に行くことはなくなったが、それでも、島に帰ったときは、夜に空を見上げていると、流れ星が見られる。

 

東京の空で流れ星を見たことはないが、流れ星は見られなくても、やはり星空を見ているとうきうきしてくる。何か嫌なことがあったとしても、きらきら光る星を見ていると、そんなことはどうでもよくなってくる。何か楽しいことがあったときは、さらに嬉しい楽しい気分になれる。
こんな気分になるのは私だけではないらしく、大学時代の友人も同じようなことを言っていた。友人の場合、今の季節にオリオン座が見えると、指をさしながら、「あ!オリオン座!!」と叫ぶらしい。しかも、独り言とは思えないくらいの大きさの声で。この友人は普段は大きな声で話すほうではなく、またどちらかと言えば寡黙なほうなので、星が与える影響というのはすごいと思う。

さすが、何光年もの歳月をかけて、私たちの目に届くだけのことはある。
癒しブームというのがあったが、私にとって星空は癒しなのだと思う。

 

今日も空を見上げてみると、星が出ていた。

 

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第9回    「 一刻千金 」    

弁理士 杉浦 秀

  

  新しい年を迎えた。やはり新しい年となると新しいことに挑戦し、今年も充実した1年を送りたいと思うものである。このような思いを胸に、私はいつも年始に今年1年を展望して何らかの目標を掲げるようにしている。

 

 ところで、目標を達成するのに必要なことは、各人の目標によってそれぞれであることは言うまでもない。例えば、今年行われるトリノオリンピック選手であればメダルを取るために日々技能を高めることが必要であり、また、何らかの受験を控える受験生であれば自己の能力を合格レベルまで高めることが必要になるのであろう。しかしながら、どのような目標を達成するためにも「時間」を使うことは共通している。そうすると、ある目標を達成するということは、その目標を「時間」を使って購入するという考え方もできるのではないだろうか。

 

 目標の達成をこのような‘買い物’に例えた場合、「時間」という通貨は非常に使い勝手の悪いものだと感じる。例えば、いくら仕事に励んだとしても増やすことができるものではなく、先々のために貯蓄することもできない。また、どれだけ必要としても人から借りることができるものではなく、お小遣いのように人から頂けるものでもない。さらには、出資額が事前に分からない場合が多い。そして、何より有限であるにも関わらず、今こうしている間も常に支出されており、これを止めることができない。
  これらの例えが必ずしも適切だとは思わないが、こうして考えてみると目標を達成する通貨は実に冷酷なものだと思う。

 

 しかしながら、このような目標を達成する通貨にもお金にはない便利な点が勿論ある。どのような点に利便性を感じるかは人によって様々だと思うが、行き着くところは、本来的に貧富の差というものがなく、どのような買い物においても自己の裁量に基づくオープン価格で購入することが可能である点ではないかと私は思っている。そして、今年1年を充実したものにできるかどうかは、このような利便性を活かして、いかに‘買い物上手’になれるかに掛かっていると思うのである。

 

 新年早々このようなことを考えながらも私は今年の目標をいくつか掲げた。なかには達成した自分の姿を想定し難いものもあれば、その姿を明確に想像できるものもある。いずれにせよ、志は高く、常に良い買い物を心掛けて、年末には「今年はこれらを成し遂げた!」と、清々しく振り返ることができる1年にしていきたい。

 

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第8回    「花の都パリ!!」    

弁理士 新藤 裕子

  

  皆さんは、旅行をする際、お気に入りの場所に何度も足を運ぶ派ですか?それとも、今まで行ったことのない場所にチャレンジする派でしょうか?
  私は、色々な場所に行って見たいので、だんぜん後者です。しかし、そんな私でも、何回も訪れたい場所があります。それがフランスのパリです。
  なぜ、そんなに私がパリを好きなのか、と聞かれると少し困ってしまいます。しいて挙げるとすると、古いものと斬新なものとが、うまくミックスされている街の雰囲気が好きなのと、フランス人は、あまり平均身長がそんなに高くない!?ため、親近感を感じるところです。

 ところで、私のパリ好きは、今に始まったものではないようです。私が3、4歳だったとき、親が「家族旅行どこ行きたい?」と質問したところ(親が期待していた答えとしては、多分「動物園」や「遊園地」だと思います)、なんと私の答えは「花の都パリ!!」。もちろん、その頃の私は、パリがどこにあるのか?どんな街なのか?を知るはずもなく、どこかで聞いて覚えたことを口にしたようです。もちろんその後、パリには連れて行ってもらえませんでした。

 

 そんな私が念願がかなって、パリを初めて訪れたのは、5年ほど前です。ちょうど世界中がミレニアムを記念するイベントを行っていたときで、エッフェル塔がミレニアム仕様に装飾されていたのがすごく印象的でした。なおこの時は、2月下旬で、「花の都パリ」にはだいぶ季節が早すぎました。
  そして今年5月初旬、急に「もう一度パリに行きたい!」と思い立ち、行って来ました。5月初旬といえば、日本では桜前線も関東をとっくに通り過ぎており、東京はポカポカ陽気の毎日。今度こそ「花の都パリ」を目にすることができるはず!!と意気込んで乗り込んだところまではよかったのですが、到着した日のパリの最高気温は10℃程度。緯度の差をすっかり忘れていました。寒くて寒くて、冬用のコートを持って行けばよかった、と悔やみました。またもや、花満開の季節には早すぎてしまったようです。なお、今回のエッフェル塔は、2008年オリンピック招致のため、オリンピック仕様に装飾されていました(残念ながら、落選してしまいましたが。。。)

 

 オリンピック招致の飾り以外に、今回、街中で目に付いたのが、日本のアニメです。地下鉄の駅構内や、路上等、いたるところで、アニメ「ドラゴンボール」等のポスターが売られていたり、テレビをつければ、「名探偵コナン」や「GTO」等が放送されていました。ただアニメは全て、フランス語に吹き替えられていたため、私には、登場人物が全て小洒落て見え、すごく不思議な感じがしました。

 

 また今回一番印象に残ったのは、街中のレストランでの食事です。隣に座ったフランス人の老夫婦が、英語で色々話しかけてきてくれました。ただ、フランス語なまりが強いのと、私の英語力がないのとで、少し困っていたところ、もう一方の隣にいたイタリア人の中年の夫婦が、通訳をしてくれ、みんなで乾杯をする等、レストランのその一角だけ、すごい国際色豊かでにぎやかした。ちなみに、フランス人の老夫婦のその隣には、イギリス人の夫婦が座っていました。びっくりしたのは、私が「エスカルゴ」を注文したところ、フランス人の老夫婦に、「え?エスカルゴ食べるの?あれ何だか知ってる?気持ち悪くないの?カタツムリだよ!信じられない!」と言われてしまったことです。私は、フランス人は、普通にエスカルゴを食べるものだと思っていたので、そんなに驚かれて、逆に私の方が驚いてしまいました。私のつたない英語力では、エスカルゴの美味しさを説明することができず、とても残念でした。しかし、気さくな人たちと、とても楽しい時間を過ごすことができ、「フランス人は、気難しくて、フランス語しか話さない」という固定概念を覆してくれました。

 

 今回、花満開のパリを見ることはできませんでしたが、今回の旅行でますますパリを好きになりました。次回訪れるときは、もう少し暖かい時期にすることと、フランス人に、エスカルゴのおいしさを説明できるくらい、英語力をつけて行こう、と心に誓った私です。

 

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第7回    「ドリームワールド」    

弁理士 濱田 佳代子

  

 2005年5月、私はゴールデンウィークを利用してオーストラリアを旅行しまし た。オーストラリアの魅力の1つは、世界でも珍しい動物たちが数多く生息していることです。そんなオーストラリアの動物を短時間でいろいろ見たいという旅行者に人気のテーマパークが「ドリームワールド」!!
  ドリームワールドは、20万uの広大な敷地に、オーストラリアの4つの自然景観(多雨林、ユーカリ林、湿地帯、内陸乾燥地帯)を模した飼育スペースを造り、そのなかにコアラやカンガルーはもちろん、鳥類、爬虫類など、実に800種に及ぶ動物を集めたテーマパークです。
  そこで、オーストラリアを代表するテーマパーク「ドリームワールド」で私が出会った動物たちをご紹介したいと思います。

 

○ディンゴ(Dingo)
・オーストラリアのほぼ全域に生息
・約8000年前、アボリジニが連れてきたといわれている
・犬との違いは耳が常に垂直に立っているところ

 私はまず、ディンゴを見に行きました。凶暴な性格を持つオーストラリアで最大の肉食獣ディンゴ。食物連鎖の頂点なのだからきっとライオンのように獰猛なのだろう、そう思いながらディンゴ舎を訪れるとそこには想像よりも小さくて愛らしい動物の姿が。

近所の柴犬に似ています。しかし、野生のディンゴは人間の持っている食べ物を目当てに襲ってくることもあるそうです。獰猛さと愛らしさを併せ持つ二面性がディンゴの魅力なのだと思いました。

○クロコダイル(Crocodile )
・オーストラリアの北部に生息
・口先の丸いのがアリゲーター,細長いのがクロコダイル
・孵卵期間(卵が孵化するまでの期間)の温度によって雌雄が変わる

 クロコダイルの餌付けショーがあると聞き、会場で待っていると雨が降ってきました。オーストラリア人(オージー)は誰も傘を差しません。よくみると靴を脱いで裸足になっている人もいます。雨の降る秋の動物園を裸足で歩く…国民性の違いを感じました。大らかなお国柄なのだと思います。
  このとき私は折りたたみ傘を持っていたのですが、差すことができませんでした。靴を履いている上に傘まで差したら日本人は神経質だなって思われてしまう、と自意識過剰になっていたのです。でも、結局差しました。服が雨に濡れてとても寒い…こんなことなら早く傘を差せばよかった、私はオージーじゃないんだからさと思ってふと横をみると、屈強な若者オージーの唇が紫色になっているではありませんか!国民性は違っても今寒いと感じる気持ちは1つ。暖かい気持ちになって餌付けショーを待っていたのですが、残念ながら雨で中止となってしまいました。

○カンガルー(Kangaroo)
・名前の由来は、「あの動物は何?」と聞いたところアボリジニが「わからない(カンガルー)」と答えたことから
・小型のカンガルーをワラビーという

 カンガルーはパーク内で放し飼いになっており、餌をあげることもできます。ピョンピョン飛び跳ねながら自分のことを追いかけるカンガルーを想像した私は早速餌を購入しました。友人も誘いましたが丁寧に断られてしまいました。「絶対楽しいのに!」と言いながらよく観察してみると、飛び跳ねているカンガルーは1匹もいません。座っているカンガルーすらいません。みんな寝そべっています。どちらかというとだらけているかんじです。

 

 なんかイメージと違うな、と思いつつ餌を出しますが食べようとしません。口元まで持っていくとようやく食べてくれます。どうしよう、つまらない…そう思いましたが友人に絶対楽しいのになどと言ってしまった手前、餌を地面にばらまいてその場をあとにするのは気が引けます。しかたなく多くのカンガルーの口元にせっせと餌を運び、ようやくすべての餌を消費しました。活発なカンガルーと触れ合うことはできませんでしたが、おなかの袋の中の赤ちゃんカンガルーを間近にみることができたので貴重な経験ができたと思います。

○コアラ(Koala)
・名前の由来は、アボリジニの言葉で「水を飲まない」という意味であることから
・実際にユーカリに含まれる水分だけで生きていける

 ドリームワールドでは開園時間中いつでもコアラを抱いて記念写真を撮ることができます。

私は、ダニエルというオスのコアラを抱っこすることができました。コアラは、栄養素の少ないユーカリのエネルギーを効率的に使うためほとんど動かず、1日に20時間は眠っているそうです。確かにダニエルも眠そうでした。肩に食い込む爪が少し痛いものの、臭いもなく、毛皮もふかふかで本当にぬいぐるみのよう。オーストラリア旅行で1番の思い出となりました。

  ドリームワールドには、ご紹介した動物の他にもエミューや絶滅の危機に瀕しているベンガルタイガーなど珍しい動物がたくさん飼育されています。ゴールドコーストの中心地サーファーズパラダイスからバスで1時間ですので、オーストラリアを訪れた際はぜひ行ってみてください!

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第6回    「アッタカイモノ」    

弁理士 山本 典輝

 私の故郷は、北海道。ジャガイモ、メロン、お寿司などなど、おいしい食べ物を思い浮かべるあの大きな北海道である。そんな北海道では、ジンギスカンというものが昔から食されているが、なんと、最近では、東京でもジンギスカンが流行っているらしい。食べたことがない人がいると思うので、簡単に説明すると、ジンギスカンとは、羊の肉を使った焼肉のようなものである。羊といっても、マトン(大人の羊)ではなく、ラム(子供の羊)の肉を使う。子羊の肉というとなんとなく残酷な感じもするが、マトンに比べて、臭みが少なく、やわらかくてなかなかうまい。食べたことがない人は、ぜひ一度試して欲しい。

 うちは、けっして裕福ではなかったので、小さな頃の私にとって、焼肉=ジンギスカンであった。北海道では、ジンギスカンは庶民の味方、とっても安価なのである。たしか、高校生のころ初めてステーキというものを食べ、牛肉の上品な味に驚いた思い出がある。

 そんな北海道であるが、住んでいる者にとっては、いいことばかりではない。交通事故による死者数は毎年ダントツ日本一である。それは、道の幅が広く、真っ直ぐで、どうしてもスピードを出してしまうからである。この問題は、私の家族にとって他人ごとではなく、親父が交通事故で死んだ。それからは、家族だんらんのジンギスカンも無くなったのである。北海道は、そんな、はかない思い出がつまった土地でもある。

 

 最近、第二の故郷ができた。それは、墨田区の押上。いますんでいるところだ。「オシガミ」ではなく「オシアゲ」である。ぜひ、覚えて欲しい。浅草の東の位置し、典型的な下町である。田舎者の私にとって、下町というのは初体験であり、よく目新しいモノに遭遇する。まず、商店街。左右に小さな店が、たくさん並んだ道が果てしなく続く小店の集合体である。道の真ん中を歩いていくと、見ず知らずのおじさん、おばさんが話しかけてくる。油断していては歩けない道なのである。最初、私は、あの異質な雰囲気に驚いたが、今では、やたらと気にいっている。休みの日は、意味もなく、出て行き、意味のないものを買い込んでいる。最近買ったのは、一個10円のチキンナゲット20個、これらは、食えるわけがなく、3個だけ食べて捨てる羽目になった。あとは、一個10円の肉団子10個、これは何とか半分食べた。安いとなると、どうしても欲張って買ってしまうところが、いやしい庶民である。

 第2の故郷、押上にて今住んでいるのは、築41年の雑居ビルの3階である。築41年とまでくると、多分イメージすらわかないかもしれないが、これがなかなかいい住み心地なのである。私はとても気にいっており、一生住みたいと思っているくらいである。近々くるだろう大地震になんとか耐えて欲しいと願ってやまない。このビルには、大家さんが、4階、5階に住んでいるのだが、この大屋さんが、実に面白い。ビルの2階で、工務店を営んでいる大工さんで、最近、飲みに行って、色々話したのだが、年は、確か68歳(酔っていたので不確かな情報)、すこぶる元気、毎日午前1時頃まで飲み歩いているらしい。それでいて、いつも朝7時くらいには、外で声がするので、一体、いつ寝ているのか。大学の経済学部を出て、某大手家電メーカーに勤め、二年程で退職、なぜか大工の小僧になったのである。脱サラのはしりである。

 

 

 そんな、奔放な人の話はとても楽しく、その日は、気づいたら夜中の3時を過ぎていた。平日であり、さすがに次の日があるので、帰宅したが、その日は、暖かい気持ちでぐっすりねむれた。「北海道の思い出」、「押上の雰囲気」、「気のいい大屋さん」、みんな、アッタカイモノを持っている。たぶんそれが、忘れかけていた家族だんらんのアッタカイ思い出を思い出させたのかもしれない。

 

 

 
 
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弁理士リレーエッセイ:第5回    「テレビドラマ雑感」    

弁理士 川澄 茂

 我が家では休日によくテレビドラマを見る。映画もたまに見るが、特に洋画は生活習慣の違いで理解し切れない場面が多く、そういう場面に突き当たると「今のはどんなことを示唆していたのだろう…」とつい深く考え込んでしまい、折角の休みに小さい脳みそをフル回転させて、余計疲れてしまう。(あとは、言葉の壁も高い…。)
 だから、適当に身近で、適当にご都合主義で現実離れしている日本のテレビドラマが格好の娯楽になるのだ。

 土曜日、日曜日の昼間には、よくサスペンスものの2時間ドラマの再放送をやっているので、なんとはなしにチャンネルを合わせる。筋はどれも似たようなものばかりで、見終わった後も特に印象は残らないのだが、7割以上が観光地のロケシーンを採用しているので、ちょっとした旅行気分を味わうことができる。特定のホテルの看板などがバーンと大写しになるところを見ると、ホテルとテレビ局がタイアップしているのだろう、と想像がつく。「私は○○ホテル(実在するホテルの名前)に泊まっているんだ。」「あなたも○○ホテルに泊まっているの?」などというやり取りがセリフに出て来て、そのあまりの露骨さに笑ってしまうこともある。
  そして、最後は必ず主人公が犯人に崖や湖畔などに呼び出されて行って、犯人の告白があった後に襲われ、危ない!というところで、探偵さんや警察が来て、犯人は御用。これが正しく、美しい2時間ドラマの終わり方である。
  ところで、どうしてこのシチュエーションが2時間ドラマのラストシーンとして定着したのだろうか。普通の神経を持った人なら、「アイツは怪しい」と思う人物に崖に呼び出されたら、まず行かない。また、犯人側も、殺したい人間を崖に呼び出すと絶対に怪しまれるだろうから、普通の神経を持った犯人(?)ならもうちょっと場所を選びそうだ…などとくだらないことを思っていると休日は終わる。(ちなみに、2時間ドラマの女王と言われる女優のN.Kも、「崖に呼び出されたら、私だったら行かない。」という旨を何かのインタビューで語っていた。)

 

 2時間ドラマと違って、連続ドラマはほとんど見ない。毎週決まった時間にテレビの前に座る、というのは現実的に難しいし、かといって、ビデオ録画をしてまとめて休日に、と思うようなドラマはない。だから、ここのところ、連続ドラマを見ることはなかったのだが、先日、妻がある連続ドラマのDVDを買ってきた。

 DVDボックス「3年B組 金八先生 第6シリーズ 全22回」。
これには意外とはまった。

 ロケ地が実家の近所ということもあり、このドラマについては子供の頃から親しんでいた。特に、第2シリーズで、腐ったミカン(=加藤勝)が一つでも箱(=学校)にあると回りのミカンも腐ってしまう、だから、腐ったミカンは箱から放り出す、という前任校の教師の例え話に呼応して、「私はミカンなんかを作っているのではない、人間を作っているのだ」という熱血教師、金八先生のセリフが印象に残っている。
  それから20数年、久々に見た第6シリーズでは3年B組の生徒たちも昔と比べてあか抜けた感じになっていて、金八先生にもやや疲れが見受けられる。しかし、そんなことはお構いなしに、これでもか、これでもか、というほど生徒たちは問題を起こす。これらの問題も最近の世情に合わせてアレンジされていて、このドラマが長続きした理由が垣間見える。
  金八先生は生徒たちが起こす問題の一つ一つに、真摯に立ち向かう。冷静に考えると、「こんな先生いないよな」というぐらい、時には非常識と思えるほど子供の面倒を見る。ただ、このシリーズでは金八先生の息子が病に倒れ、生死を彷徨うことから、教師としての自分と父親としての自分の間で揺れ動き、生徒からも「先生、最近相談しづらいよ。」と言われてしまう、というエピソードが出てきて、その点ではリアルに描かれているな、と感じた。自分は子供を持っていないので、本当の実感としてはわからないが、仕事と家庭の折り合いをつけることの難しさ、というものなのだろう。
  他にも見所はたくさんあるのだが、生徒を演じる役者の個性もなかなかおもしろい。このシリーズでは、上戸彩が性同一性障害に悩む生徒を好演したことで話題になったが、それ以外の、いわゆる「脇役」的は生徒の中にもなかなか見所のある役者が何人かいたように思う。特に、長澤一寿という生徒を演じた増田貴久という若者の演技が光っていた、と、妻に書けと言われた。

 

 最近は昔のテレビドラマのDVD化もどんどん進んでいるようだ。まとめて買うと少し値段ははるが、全部揃えて見たほうが、ある意味達成感があってよい。ただし、入れ込み過ぎて寝不足にならないように要注意…。なお、大ヒットしたテレビドラマがDVD化されていない場合、営業上の問題というよりも、著作権問題が潜んでいることがあるという。テレビ局は通常、脚本家等の著作権者との間で放映に関する権利処理は事前に行うが、そのドラマがヒットするかどうかも分からない段階で、DVD化等の問題についてはあまりコミットしたくないという事情がその背景にあるそうだ。

 

 
 
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 弁理士リレーエッセイ:第4回    「育児アイテム」    
弁理士 岩本 京子

 我が家には1歳半の息子がいます。生まれたときから自慢できるくらい手のかかる子で、夜泣きも未だに30分から3時間間隔。大変なこともたくさんありますが、育児に関して事務所にご理解をいただき、いろいろと便宜を図って頂いているおかげで、仕事に育児に充実した生活を送っています。そんな生活の中から、今回は我が家で活躍中の育児アイテムにまつわる話題を二つ紹介したいと思います。

 

1、お下がり絵本

肉体的にも精神的にもあっという間に成長してしまう子供の洋服やおもちゃは使用期間が短く、すぐに使用されなくなってしまいます。そこでママ達の間では、お下がり品のやりとりが頻繁に行われます。初めての子を育児中の私にとって、先輩ママさんたちから頂くお下がり品は、とてもありがたいものです。

 先日、私の実家からも絵本のお下がり品が届きました。物持ちのよい母は、私や兄弟の使った絵本を捨てずにいたのです。これらは早速息子のお気に入りとなり、毎日本棚からズルズルひっぱりだしてきては「ちゃぁ〜?」と読むのをせがむようになりました。彼の一番お気に入りの絵本は、幼稚園時代の私が書いたサイン入り。十数年(??)の時を経て、私の手垢や落書きだらけの絵本を自分の息子が触っているのが不思議な気がします。

 ところで母が送ってくれた絵本の中に、一冊、物語ではない古ぼけた絵本が入っていました。「こどものちしき」というタイトルで、果物や動物、乗り物などといった項目ごとのページに、絵とその名前が書いてあるものです。ものの名前を教えるのにちょうどよい絵本だと喜んでいたのですが…この本には重大な問題がありました。「みのまわりのもの」という項目のページには、みのまわりのものが全くないのです!そこにあるのは、黒電話、ポップアップトースター、木枠入りテレビ、両手鍋にコードがついたような電気釜、円筒形の巨大な掃除機、1ドア冷蔵庫、そしてなんと洗濯機にいたっては2槽式より古い、脱水槽なしのローラー脱水式!

 

息子は絵ばかりのこの本に興味津々らしく、さかんに指差しては何かと聞いてきます。そんな息子に絵本のページをめくってあげながら、動植物はそう簡単には進化しないけど、人がつくりだすモノはあっという間に進化するのねぇと技術の累積的進歩をしみじみ実感。息子は果物や動物のページよりも、この「みのまわりに全くないもの」がたくさん載っているページがお気に入りの様子、果たして息子は現代の電化製品についていけるのでしょうか?

2、我が家のとっておき

 最近の育児用品はまさに優れた発明の宝庫。体にフィットして漏れにくいオムツ、抱きやすく降ろしやすい抱っこ紐、軽くて持ち運びしやすいベビーカー…。母達がびっくりするくらい便利なものが溢れ、育児の負担を軽減してくれます。そんな中でも、我が家にはとっておきの育児用品があります。

 息子が三ヶ月くらいの頃、バウンサーというものを買いました。これは、ロッキングチェアのようなもので、まだおすわりができない赤ちゃんでも乗せることができます。私が買ったのは、おもちゃ付きのアメリカ製。バウンサーにアーチ状の部品(我が家では通称「鳥居」)を取り付けることで、赤ちゃんがバウンサーに乗りながら、アーチ上部にあるおもちゃで遊べるようになっているものです。しかし、息子はバウンサーに乗せてもすぐにぐずりだすし、おもちゃはバウンサーに取り付けると息子の手が届かない位置にくるので使用できないし、ほとんど活躍せず。この買い物は失敗だったかのように思われました。

 ところがこのバウンサーの使用を諦めて畳んだ後、この買い物が実は大成功だったことが判明し、今では我が家で大活躍!…でも活躍しているのはバウンサー本体ではありません。バウンサー付属品としては使い物にならなかった「鳥居」の方なのです。それも、おもちゃとしてではありません。息子は、おもちゃであるはずのこの「鳥居」を喜ぶどころか、泣くほど怖がるのです。「鳥居」の上部には丸い球体が3つはめ込まれていて、スイッチがオンになると、大きな音とともに、球体がピカピカ光りながら回転する仕組みになっているのですが、どうやら3つの丸が、顔のように見えるらしいのです。そして、いかにもアメリカ製らしい、「ヒューヒュー」だの「ウワッホホーイ」だのという大きな声と激しい動きが、日本人の彼には馴染まなかったようです。

 そこで!息子が嫌がるこの「鳥居」は、現在、息子を危険な場所に行かせないためのベビーフェンスの代用品として使用されているのです。この「鳥居」の効果は抜群で、息子は「鳥居」がおかれている部屋には近寄ろうともしません。通常、ベビーフェンスは取り付けが面倒な上、大人が通る際に跨がなくてはなりませんが、このおもちゃは取り付け不要で移動が簡単、しかも大人が通る分には何の影響もないという、普通のベビーフェンスより数倍便利な代物。最初はバウンサーに取り付けられずに無用なものと思われたこのおもちゃ、今では我が家とっておき「用途発明品」なのであります。

 

 
 
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 弁理士リレーエッセイ:第3回    「残念!!」            

弁理士 佐々木 まどか

何を隠そう私は機能だけでなくデザイン面でも楽しめる日用品が好きでよく散財してるのです。ハリネズミを模した靴の泥落としや、ヒトが踏ん張ってる形のドアストッパーとか・・・何でもない日常を少ーし潤してくれるじゃないですか。純粋芸術も好きですが、こちらは気軽に買えないお値段なので愛でるだけで実質的な散財に至らず済んでいます。というわけで、以下は私の「デザイン系日用品」にまつわる散財話であり、学術的な話でも実務的な話でも全くないことを最初に言っておきましょう。

私が幼少の時、キッチン(正直、当時は「台所」という言葉が主流でしたが)で気になって仕方なかったものがありました。それは、「やかん」です。今でこそ、かわいらしくてカラフルなやかん、いえケトルがたくさん市場に出回っていますが、私が幼少の頃は、家でも学校でも金具屋でも(当時はタワシとかホウキとかブリキのバケツとかジョウロとか売ってる金具屋さんというものが商店街に1軒はあったのでした)、「やかん」といえば、薄いアルミ製で茶色(金色?)で丸っこいものしかなく、違いといえば大きさくらいなものでした。やかんはどうしてみんな同じ形をしているのだろう、なんで、もっと素敵なデザインにできないのだろう・・・、とシワのできかけた小さな脳で考えたものです。

 その後、沸騰するとピーピー鳴ってお知らせする「笛吹きケトル」なるものがでてきて、注ぎ口が短く太く、形は台形型が増え、色の選択肢も若干増えて、やかんのデザインは進化を遂げました。しかし、やっぱり、私的には素っ気ないデザインであり楽しめるデザインとは言えないものでした。その後はこれといったデザインの変化はなく、誰も「やかん」のデザインなんてどうでもいいのかしら。「やかん」のデザインなんて気にするのは私くらいなんだわ・・・と、大人になった私は諦めモードに入っていました。

 そしたら、なんといたんです。デザイン系やかん、いえケトルをデザインしてくれた人が!フランスのデザイナーP.S氏です。P.S氏といえば、浅草のビール会社の屋上に金色のウ○コと言われたオブジェをのっけたあの巨匠です。そのオブジェが完成した当時、日本では彼の一大ブームが起こり、彼が総合プロジュースしたレストランは予約がなかなかとれない状況でしたっけ。タコ?のような宇宙人を模したステンレス製レモンスクィーザーもバーとかレストランとかによくオブジェとして飾られていましたっけ。私はそんなユーモアある彼のデザインが好きでした。彼がデザイン担当だったニューヨークのRホテルや香港のPホテルにもいつか行きたいと思っていました。そのP.S氏がやってくれたのです♪

 私は、そのケトルを滞在していたオランダのキッチンツール屋さんで見つけました。少し暗めの店内でライトアップされたショーウィンドーに飾られていたそれは、私が幼少の頃からなんでないんだろうと思っていたまさに「デザイン系ケトル」でした。そのケトルは全体的にニワトリの頭を連想させるように、そしてスタイリッシュにデザインされていました。本体は銀色のぴかぴかのステンレス製で卵を半分に割ったような流線形。トサカを連想させる取っ手部分は黒いプラスチック製。そして、注ぎ口の先端には金色のクチバシを連想させる蓋がついていました。そのクチバシに見える蓋部分は近くで見ると笛の形をしていて、沸騰時にさぞかし素敵な音色を奏でるのであろうと思われました。そしてお値段は約2万5千円。当時、2000円出せば既にカラフルでかわいいケトルが買えました。その時代に2万円以上です。勿論、買うのは躊躇され、そのお店に行くたびにそのP.S氏のケトルをショーウィンドー越しに鑑賞したものでした。きっと憧憬の眼差しでなめるように見ていたことでしょう。

 そして、オランダから日本へ帰国が決まった時、私は「オランダの記念に」と自分に言い訳を作ってとうとうそのケトルを購入したのです。なんだか、思い続けていた恋人とやっと一緒に暮らせるような心境でした。

 ・・・しかし、しかしなのです。その後、P.S氏のケトルは私を裏切り続けることになるのです。

 まず、沸騰時の音。日本に帰国してから使用するつもりだったのですが、どうしても沸騰時の音色が聞きたくて一度だけ、オランダで沸騰させてみた時のことです。P.S氏はどんな音色をこのケトルに与えたのだろう・・・・水を入れて沸騰するのを厳かに待ちました。何分か後聞こえたのは、

・・・・・・・ビ、ビビビビ、ビュエッビュエッビュエッ         

 

 ど、どこか具合の悪い鳥の鳴き声??初心者のフルート??・・・みたいなかすれた音しかしないのです。最初だけだろうと思って辛抱強くその音を聞いたのですが本格的に沸騰してもずーっと同じ調子です。その後、改めて試してみたり、どこか詰まっているのかと点検したりしましたが、妙なかすれ音は変わりません。これでは、近くのスーパーで売ってる2000円のケトルの方がよっぽどいい音じゃないか・・・・。ということで、スタイリッシュなデザインとその情けない沸騰音とのあまりにも大きなギャップに許せないものがあり、しかし、もはや返品するにも返品できず、その後は沸騰しても鳴らないように蓋を空けて使用することになるのでした。とほほ。(注:その後、この笛?は「ミ」と「シ」が出るようにデザインされていることを知りました。不良品だったのかもしれません・・・・。)

 そして、帰国後の使用中にハプニングは起こったのです。溶けたんです。取っ手が。その頃、中華料理は火力が命とばかりに火力の強いコンロを使用していました。一方、件のケトルは底がやたら分厚いステンレスでできていたため、多量の水を速く沸騰させるにはかなり強い火力でなければなりませんでした。そこで、そのコンロで思いっきり強火で沸かした時のことです。トサカの一部のプラスチックが無残にも溶けてしまったのです。

 

ひ、ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜!!       

 

 取っ手が一部溶けた「オランダの記念」を目前にして私は本当に眩暈がしました。確かまだ5回も使用していなかったと思います。言っておきますが、強火といっても火はやかんの底から少しはみ出る程度で取っ手部分には届いていませんでした。巨匠P.S氏もせっかちな日本人と中華料理用火力は想定外だったのか・・・。ピカソの絵皿に熱々のハンバーグをのせてしまうようなものだったのか・・・。ガレの花瓶に生花を生けてしまうようなものだったのか・・・。P.S氏を責めるべきか、自分を責めるべきか・・・。ともかく、その後、1000円弱のすっごく軽いステンレス性ケトルを買うハメになったのでした。嗚呼〜残念!!

 

 私のデザイン系日用品の「残念!!」話はまだ尽きないのですが、紙面の都合上割愛します。今は、デザイン系日用品に少し懲りたのでしばらく手を出すつもりはありません。あのP.S氏がパソコンのマウスを最近デザインしたらしいので、そそられますがちゃんと機能するのかやっぱり心配です。

 ちなみに、かの偉大なるP.S氏が創作者として登録されている日本での意匠権は1つだけです。その意匠に係る物品はなんと「タイツ付きワンピース」。もちろん施行規則別表第1表にそんなものはありません。意匠に係る物品の説明欄によるとタイツの筒部が伸張してボディ全体を覆うことができるとあり、つまり、足の先から肩のあたりまでワンピース?のように着用できるらしいですが・・・・・。どうしたことでしょう。100円でもいらないじゃないですか。デザイン系日用品は何でもない日常を潤してくれるありがたいものと思っている私としては、彼にもっとステキなデザイン系日用品の創作をただただ期待するのでした。

追伸:P.S氏のマウスを購入された方がいらしたらどんな調子か教え頂ければ幸いです。                                    

 
 
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 弁理士リレーエッセイ:第2回    「カブトムシの羽化」   

弁理士 横田 絵美子

 皆さんは、カブトムシの羽化をライブで見たことがありますか?

 6月1日、私は、生まれて初めてカブトムシの羽化を目の前で、ライブで見ました。土の上で仰向けになったサナギ(♂)が、ひたすら足をゴソゴソと激しく動かし、角から足から抜け殻を脱いでいました。目の前で脱いでいる、その姿のいとおしいこと。。。また、羽化直後の乳白色の羽のカブトムシの神秘的なこと。。。

 思えば、去年の夏、大の虫嫌いである私の家に、カブトムシが突然やってくることになったのでした。当時3歳の息子Sの虫嫌いが保育園で有名だったらしく(仕方がないか、私のDNA・・)、保育士さんから「S君、虫が大嫌いなので、カブトムシを飼ってみたらどうですか。保育園のカブトムシ、一杯いるので譲りますよ。」と、有り難いような、有り難くないようなお言葉を頂きました。(えっ、カブトムシが脱走して夜中に顔の上を歩いたらどうするのよ・・・)苦笑いしながら「家族で相談してみます。。。」とお茶を濁し、全く飼うつもりなく帰ったのですが、家族会議の結果、一転、飼うことに。

 かくして、いそいそと土やらケースやらカブトムシ飼育セットを買い込み、いざカブトムシを頂くことになりました。私は一匹だけ頂くものとばかり思っていました。ところが、「せっかくですから、オスとメスをあげますね〜。」と保育士さん。(えっ、たまごが産まれても困るんだけど・・・)「いえ、一匹で結構です〜。」と私。「いや、せっかくですから。この大きいオスをあげましょう。それから、メスもこの大きいのがいいかな。」「やだ、このカブトムシがいい!」と一番小さなメスを指差して要求している我が息子。結局、小さなケースにカブトムシを二匹も飼うことに。

 その日、家について、カブトムシがもの珍しい私とSは、ケースに食い入るようにじっと眺めていました。すると、結婚の季節だったらしく、いきなり、文字通り“目の前で”交尾が始まりました。「何してるの〜?」とS。「・・仲良ししてるんじゃないかなぁ。」と私。結局二匹のカブトムシは、その日ずっと仲良ししていました。

 翌朝、まだカブトムシがもの珍しい我々は、朝からカブトムシのケースを眺めていたところ、黒い土の上に白い小さな丸いものが3つ。(えっ、たまごじゃないよね・・)(もともとの土の成分だよね・・)(えっ、たまごって、結婚した途端に産むものなの??・・)

 メスは日を追ってだんだん元気がなくなり、結局その後2週間程で死んでしまいました。が、ケースの底に何やら動く小さな白いものが。やっぱり、白い丸いものはたまごでした。3匹の赤ちゃんが産まれました。

 カブトムシの大きさは、幼虫の時代にどれだけ大きくなったかで決まるといいます。そしてそれは、えさを含む環境に左右されるらしいです。果たして、我が家のカブトムシの赤ちゃん達は、3匹もいるのにケースが小さく、一匹当たりの土の容積が少なかったらしく、冬が過ぎて春になってもチビ幼虫のままでした。春頃、幼虫の頭の大きさを見ては、この頭が成虫の頭になるとすると、随分小さな成虫だなあ。。と思って眺めていました。

 5月の連休が終わって次の週末、久しぶりに何気なくカブトムシの土の上を見たところ、土の上に茶色いものがありました。サナギでした。土の中にもぐっていた幼虫は、土の表面近くでサナギになっていました。しかも、時折サナギが動くのです。(土の中でサナギになる)、(サナギは脱皮するまで動くものではない)、と勝手に思い込んでいた私には意外でした。サナギになると、2週間くらいで成虫になるらしい、・・・そうだ、カブトムシ用ゼリーと隠れるための木を買ってこなきゃ!

 かくして、現在我が家にはオス1匹とメス2匹、いずれも小さいカブトムシが住んでいます。日中はあまり姿を見せませんが、ゼリーが減るところをみると元気に暮らしているようです。気が付くと、家族はカブトムシに魅せられていました。息子Sの虫嫌いは治りました。(と思います。)私は、彼のおかげで、子供の頃の純粋な感動をまた味わうことが出来ました。

 
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弁理士リレーエッセイ:第1回    「見本を示す。」       

弁理士  星野 哲郎

筆者は、特許業界に入る前、約28年間石油会社に勤務し、その多くの期間を潤滑油のセールスエンジニアとしてすごしてきました。「潤滑油」といえば、一番身近なものが車のエンジンオイル。が、私が担当していたのは工場で使う機械の潤滑油です。タンク容量は小さなものでも、200Lドラム缶数本分、大きなものですと、10トンのタンクローリーで数十台分も入るものまであります。このような大きなタンクは通常、潤滑される機械下方の地下室(セラー)内に設けられています。大まかな大きさは私共東京セントラル特許事務所の1フロア分ほど、3DKのマンション2〜3室分ぐらい、というところでしょうか。
潤滑油ビジネスの醍醐味は何といっても、「イニシャルフィル」と呼ばれる、新設機械への納入です。競合他社との熾烈なプレゼン/価格競争に打ち勝って、納品の打ち合わせをしているときなど、天にも上るような気分です。
しかし、その後「地獄」が待ちうけています。オイルの張り込み作業です。
作業は大きく分けて、二つ。先ず、「フラッシングオイル」と呼ばれる、洗い油を張り込み、昇温、配管系統内を循環させて、機械内部に残留する、塵埃、ウエス、溶接くず等をストレーナーにより除去する作業。そして、二つ目はその後に行われる「潤滑油新油」を張り込む作業。「地獄」は前者の洗浄作業にあります。
洗い油の張り込み前、あるいは抜き取ったあと、タンク上面開口部から梯子を下ろして、タンク内部に入り込み所定の作業を行います。このとき、どんな格好でタンク内にはいると思われます?
先ず、ヘルメット、軍手、作業服、そして安全靴をつけ、その上から、アハハ、ビニールのカッパを羽織るのです。機械要部へ直接ホースから洗い油を吹き付けた際の返り油を浴びたり、タンク天井部からポタポタとたれ落ちる油を浴びたりと…。
カッパを着ていてもそのうち全身が油でヌルヌルになってきます。
この作業、最初は思わずたじろぎ、後じさりしましたが、オイルショック前の高度成長期を生き抜いてきた先輩たちが、こともなげにタンク内に入って行きます。まさに目の前で「見本を示され」、新入社員の私も否応なくタンク内へと続きました。

そして時は流れ、入社から7年後、私は東北6県の顧客工場を担当するエンジニアの立場にありました。東北6県といっても大きな工場は、製紙工場とセメント製造工場ぐらい。幸いにもその中で岩手県の大船渡市にある大手セメント工場の新設機械に潤滑油を採用していただくことになりました。
セメント製造装置の潤滑箇所はほとんどが減速機、いわゆるギアボックスです。大半のギアボックスは洗浄なし、オイル張り込みだけでOK、というものでしたが、キルンの主減速機だけは洗浄してほしいとの強い要望があり、久々のカッパ姿であります。
気力、体力とも充実していた頃でしたから、若手のA君を従え、2名分のカッパを仙台市内で買い込み、意気揚々と大船渡に乗り込みました。
この減速機、オイルタンクを持たず、ギアボックスそのものがオイルタンクを兼ねている構造を持ったものです。…ということは作業のためギアボックスの中に入らねばならないことを意味します。径が2メートル以上もあろうかという「斜歯(はすば)歯車」のツルツルと滑る歯面に乗ってタンク内にくまなく洗い油を噴射しなければなりません。また、モータとの連結は未だされていないとはいえ、ひとたびギアが回りだせば、即「人間ミンチ」にされてしまいそうで、不気味なことこの上ありません。
ま、そんなことがありつつも、A君に「見本を示さねば」と、率先してタンク内に入り、A君には外部の作業をやらせておりました。翌日はお互い逆の作業をすることを条件で…。さて、翌日の朝、A君の様子が少し変です。日頃陽気な男が、すっぱい顔をして旅館の朝食をつついています。「実は…」で始まったA君の話、タンク内に入るのはどうしてもできないので勘弁してください、というものでした。うっすらと涙を浮かべ、訳の分からぬ理由を並べ立てていましたが、つまるところ、彼の小さなプライドがカッパを着てタンク内に入る「情けない姿」を拒否していたようです。
嗚呼、やんぬるかな!。かくして、とうとう二日間とも「見本を示す。」のみで終わってしまいました。見本を示されても、そのとおりにできなかったA君、仙台に戻り国分町で飲んでいても、しばらく元気がありません。フッフッフッ、A君、まだ若いな。カッパ姿くらいでは傷つかない大きなプライドが、オイラにはあるのさ。

そしてそれから、8年後、私は東京支店で名ばかりの管理職になっていました。今回は、川崎の化学工場での、潤滑油の交換作業です。作業経験のあるお前が、担当の若手営業マンB君を現場で指導してくれという、営業部門からのありがたいご依頼でした。
ハハハ…またオイル交換か。ちょっと汚れるが、ホレ、そんなこと慣れたもんよ、任しときなさい♪、とばかり軽く引き受け、B君には、当日朝、作業着一式、及びカッパを用意して、現場に来るように指示しました。
さて…、B君にはこのように指示したものの、8年前のA君を思い出し、一抹の不安が頭をよぎります。おまけにB君は、天下のT大出身のエリート。プライドと責任感、どっちが勝つのかなぁ?
そして当日の朝です。工場の現場で大まかな作業手順をB君に説明し、例のとおり「見本を示す」べく、作業服の上からカッパを羽織ろうとすると、B君から意外な言葉が出てきます。「先輩にそんなことをやらすわけにはいきません。ここは僕がやりますから、外で見ていて下さい。」と。そして小柄な彼は、こともなげにスルスルとタンク内に降りて黙々と作業をこなしておりました。
見本を示され、そのとおりできなかったA君、自ら作業を買って出たB君、その後のこの二人、サラリーマンとしてどちらが成功したかはここでは申し上げません。ま、皆様ご想像のとおりではございますが…。

さて、未来の東京セントラル特許事務所を背負ってたつ若手弁理士の諸君、あなたはA君、それともB君?


                                       了
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長文にお付き合い戴きありがとうございました。書いているうちに、ついつい調子に乗って、長々と駄文を連ねてしまいました。見本としてはいささか長すぎました。説教調の駄文が長くなるのはやはり年を取った証拠でしょうか。

 
     



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